![]() |
| 農場で実習生を指導する谷口さん(中央) |
7月中旬、タイ北部・パヤオの農村は乾ききっていた。例年なら見渡す限り一面の水田が緑に輝いているはずなのに、今年は雨期に入ってもほとんど雨が降らず、カンカン照りが続く異常気象。天水に頼る田んぼは赤茶けた底土をさらし、雑草に覆われたままだ。
だが、地下水を活用している「谷口21世紀農場」は周辺と"別世界"。パヤオ農業高校の実習生たちが満々と水をたたえた田で種もみをまいていた。「もっと均等にまくんです」。その風貌(ふうぼう)などから、実習生に「軍人のよう」と評されることもある谷口さんが田に入り、自らまき方を教える。
農場の朝は午前5時半、起床を促すドラの音で始まる。草刈りなど農場の整備を1時間余り。食事は全員が食堂に集まって取る。朝礼では、タイ国旗の掲揚、国歌斉唱。そして「私たちは国の宝、そして食糧を生産する戦士である」という独自の標語を唱和する。
午後5時までの作業で、実習生は各自に割り当てられた農地を使い、専攻対象を研究。夕食後も食堂に集まって、競うように勉強する。教育方針は「誇りある農民の育成」と「実践的な農業の実現」。スー・セーヤンさん(21)は「本では分からないことが実習で分かる。ここでの毎日に満足している」と笑顔を見せた。
◆高い評価
タイ政府は、谷口農場が実践する無農薬・有機農業、機械化という技術的な側面だけでなく、共同生活を通じた社会教育を高く評価。現在の実習生は10人だが、受け入れ人員増を強く要望している。国内外からの視察も後を絶たない。
タイの農業高校では生徒のプロジェクトに出資して、実際に売り上げを競わせる教育方法を採用。実習生OBは毎年優秀な成績を収め、今年も1人がイスラエルへの国外研修を控えている。「実習を終えた生徒は基礎がしっかりしている。何より生活態度が素晴らしい」とパヤオ農業高校のチャラポーン・ワンラソン副校長は話した。
◆脱「ヤーバ」
「ヤーバ(麻薬)で金を稼ぐのは悪いことだと分かっている。でも父は好き」。日本人の里親の援助を受け、チェンライの寮で暮らすアカ族の中学2年女児(14)は悲しげな表情を見せた。父親は麻薬密輸で懲役33年の判決を受けて服役している。タイ北部の山岳地帯に住む高地少数民族は約120万人。貧困のため麻薬の密輸に手を貸したり、中毒になって身を持ち崩す人が多い。
果樹苗の提供や農業指導で高地民族を支援してきた谷口さんは昨年新たに、「脱麻薬」の講習会を始めた。「君たちはヤーバを使って気持ちいいかもしれないが、両親や妻、子どもたちは被害者だ。絶対に、二度とのまないと誓いなさい」。厳しい口調で言うと、大の男が泣きだすこともある。
チェンライの西約40キロにあるアカ族の村、バンロンイエンからはこれまでに100人以上が受講した。標高約1200メートルに位置し、電気も水道もないが、広場では子どもたちの歓声が絶えないのどかな村だ。
7月、村長宅を訪ねた谷口さんを受講した約20人の村民が囲んだ。「友達とノリでヤーバを始めた。飲むと体がクールになるんだ。でも講習のおかげでやめることができた」と、ある男性。今は焼き畑農業に取り組んでいるが、トマト1キロがたった2バーツ(1バーツ約3円)にしかならないなど悩みは尽きない。
「日本には種のないスイカがある。商品を高く売るには勉強が必要です。暇を見つけてうちの農場へ来なさい」という谷口さんの言葉にみんながうなずいた。
◆ミシンプロジェクト
パヤオの東にあるバンカライパカ村の公民館で、2人のエイズ感染者の女性が健常者とともに一生懸命ミシンを踏んでいた。作っているのは制服やメガネケース、カバンなど。色とりどりの模様を施した製品は、日本でも販売されている。
谷口さんは熊本県在住の妻恭子さん(77)から、これまでに約400台の中古ミシンを送ってもらい農村に配備した。
農場があるチュン郡の患者数は10万人当たり約400人だった97年を境に急減してはいるが、タイでは依然、エイズの悲劇が続いている。
エイズの原因となる売春の防止と感染者への授産を兼ねたプロジェクト。利益は子どもの学費などに充てている。コーディネートしている農場スタッフのキタニー赤塚さん(38)は「感染者は田植えも出稼ぎも難しい。ここには差別もないので、安心して仕事ができる」と話した。
「貧困な農民のいる所に私はいる。それがタイだったというだけ。高地民族やエイズ患者の支援はそれに付随したもので、やっていることは行き当たりばったりです。事態が改善したとは言えない」。タイでの20年を振り返る「軍人」の表情に緩みはなかった。
◆プロフィル◆熊本県生まれ。谷口21世紀農場長。鹿児島農林専門学校(現鹿児島大)卒。農業改良普及員を経て熊本県立農業大学校の教官になったが、一時退職して8年間、自身で農家を経営した経験がある。うち1年間はデンマーク遊学。同校退職後の83年、タイ・チェンライ郊外に農場を開設。パヤオにある現在の農場は25ヘクタールあり、90年に移転したもの。日本の里親援助で約600人の子どもたちに奨学資金を給付、緑化運動では果樹や街路樹計10万本以上を植樹してきた。日本国内の活動拠点は妻恭子さんが会長を務める「タイとの交流の会」(熊本県泗水町富原205の18、電話とファクス0968・38・3035)。
◆受賞理由◆次代を担う農業青年の育成に余生をささげたいとの思いから、59歳で貧困層の多いタイ北部の農村地帯に単身飛び込み、私財をなげうって農場を開設。地元高校から無償で実習生を受け入れ、全寮制で農業技術を指導している。無農薬・有機農業という技術的側面とともに、「農民としての誇り」を重視した精神面の指導でも高い評価を獲得。その他、熊本県在住の妻恭子さんと連携し、エイズ感染者の生活支援、高地民族に対する教育・農業支援、緑化運動など多岐にわたる交流を続けている。教え子が高地民族子弟の寮を開設したり、エイズ患者のグループを組織するなど活動のすそ野は広がりつつある。
2003年8月31日毎日新聞大阪朝刊





ホーム