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| <左>谷口21世紀農場長、谷口巳三郎さん <右>イリマニの会代表、北浦久美子さん |
設立から10年くらいたち、「これからどうする? 続けていく?」という感じの時の受賞です。ボリビアの現地も北海道も「私たちの活動は本当に必要なんだ」と実感できました。
子どもの目は、日本でもボリビアでも美しい。でも、栄養状態が原因で、その目の力がだんだんなくなっていくのが悲しい。学校生活にも耐えられなくなる。結婚前の長期の同せいが多いボリビアでは、父親のない子が非常に多く経済状態も悪い。そこで保育施設を作りました。ミルクなどで栄養状態を良くしています。
古都スクレにある私たちの施設「ミスキィ・ワアシィ」は、現地の言葉で「心地よい家」。社会変革の一方は家庭から。子どもたちにそんな雰囲気が必要と思い、名付けました。
母親の支援もしています。子どもは素直に外国人を受け入れますが、母親は難しい。でも、2~3年続けるうち、家庭のことなど相談されるような関係にようやくなれたかな。お母さんがしっかりしているところは、子どもたちも元気。逆もそう。
男性が上という社会からまだ抜け切れません。けんかしても、離婚できない。男性に頼ってしまう。それを、何とかしたい。市場に来る人はほとんどが男性。スペイン語を話せるのも男性。女性は、現地語のケチュア語しか話せず、市場にも出られないのが普通です。子どもを背負いながら市場に出ても、子どもの安全に気を配る、世話もするで、商売に集中できない。
最初は、冷たい視線だった女性も、そのうち手伝い、協力してくれる間柄になりました。ともに考え、作った自分たちの誇れる場所であり、自分たちの甘さも学ばせてもらえる。
私は、青年海外協力隊で、保育を通じて子どもとかかわり、余りにも日本と環境が違うことを感じました。2年の協力隊の任期を終え、はいさようなら、とは出来ませんでした。
日本の老若男女に「こんなところがあるんだ」と、少しでも思ってほしい。ちょっと旅費がかかるけれど、今日がきっかけで、誰か一人でも南米に行こうかな、ボリビアに行こうかな、と思ってほしい。紺ぺきの空、満天の星の夜空。南米に行って、それを見てほしい。
きっかけって、身近なところにあります。それに出会える純な心を持ち続けたい。特に若い皆さんにそれを持ってほしい。
皆さんから褒めてもらえるということを、私たちの10年間の区切りとして、新たなるステップアップの機会としたい。
ありがとうございました。
◆「君は今正しい道を歩いているか」――谷口21世紀農場長、谷口巳三郎さん(79)
1983年2月1日、私は20キロのかばんを一つ提げてバンコクの空港に降りました。誰かが「来てくれ」とか「行ってくれ」とか言ったわけではありません。そして全部、自分一人でプロジェクトを組んで、青年教育に取り組んできました。熊本県の普通の職員でしたのでお金もありませんでしたが、「金がないから」「誰も呼んでいないから」といって何もしないのは人間として悲しいことだと、道を探して生きていかねばならないと考えたのです。
農民は太陽の下で働かねばなりません。朝から夜まで空を仰ぎ、2本の手、2本の足で大地に立って。高い気温の下で20年、来る日も来る日も「明日の天気はどうだろう」「どの作物を植えよう」と、そればかり考えて生きてきました。それが農民なんです。その農民として言わせてもらうと、人類は曲がってはいけない角を既に曲がってしまった。世界の人口は62億人。年々増え、気温も上昇し続けている。
今の状況を科学で救えるでしょうか。「誰かがうまくやってくれるだろう」。それではいけません。昨日、タイから帰って来たばかりで、多くの若者を前にこんな話をするのは悲しいけれども、将来に幻滅せざるを得ません。それでも、たとえ希望が持てなくても、それを放っておいてはいけない。
タイの農場は20ヘクタールあり、青年20人を地元の農業高校から受け入れています。実習生は毎朝、「今、君の瞳は輝いているか」というスローガンを読み上げます。もう将来を託すことができるのは青年しかいません。タイ政府からは1円ももらわず、すべて支援者のお金で運営しています。明日は(お金が)あるか、来年はあるか分からない。それでもやめられない。だから、今日いただいた賞金は本当にありがたいものです。
農場では有機農業確立のため、たい肥を作っています。このままでは化学物質で地球が駄目になるから。その年間生産量はタイで一番です。そういうことが認められて実習生が来るのです。麻薬の撲滅運動も始めました。手をそんなに広げてまともにできるのか、と思われるかもしれませんが、人間は案外やれるものです。どんな難問がきても、能力を最大限使えばやれるものなんです。
これまで、自分で問題を探しながら、財政の当てもなくやってきました。今、タイのほかにもミャンマーやラオス、カンボジアから同じような指導をしてほしいと要望が来ており、周囲の国々にも目を向けています。私はこの20年のうち95%はタイにいました。日本にはいなくてもいい。より貧しい人、助けを求めている人がいる所ならどこへでも行きます。
2003年10月13日毎日新聞大阪朝刊





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