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| 「地域医療支援・保健教育プロジェクト」で訪れた村で住民と写真に納まる(前列右から)モーガン・三恵子さん、サケムさん、松島代表 |
ヤシの葉で屋根と壁を覆っただけの家には、12畳ほどの広さの土間に木製ベッドと自転車1台があるだけ。「薬、ちゃんと飲んでる?」。アンコール小児病院の看護師、赤尾和美さん(41)が中に入り、クメール語で優しく声を掛けると、感染症にかかった少年(9)の表情が和み、隣で祖母が「時間通り飲ませてるよ」と笑顔で答えた。
FWABJなどが運営する同病院には連日、300人もの病気の子どもが詰め掛ける。100キロ以上離れた村から泊まり掛けで来る患者もいる。一方で、交通費がなく通院できないケースも多い。訪問看護はそんな子らのため始まった。赤尾さんはリーダーとして、日々の勤務をしながら郊外の集落を巡回する。
この家では、少年の父は失そうし、母は市内の飲食店に勤めに出たきり。祖母と兄弟3人暮らしだ。4歳の弟も同じ病気。足が弱い祖母が連れて通院するのは難しく、月に1、2度、赤尾さんらが通う。「必要な時は時計も与えるし、井戸も掘る。カンボジアで病気を治すということは、一人一人の生活に深くかかわることなんです」
◆スタッフ育成にも力を注ぐ
赤尾さんは、開院直後の99年5月、看護師の指導者として初めて病院を訪れた。米・ハワイの病院に勤務していたが、当時看護部長だったジョン・モーガン院長に誘われた。「『カンボジアは自然豊かでいいところだ』と言うので軽い気持ちで来たのに、もう5年もたっちゃった」と笑う。
赤尾さんを引き付けたものは「五感を刺激する自然」だけではない。日本にもアメリカの病院にもない「達成感」だった。
点滴にたかるアリを払おうともしない。正しいことを伝えても従わない――。技術的に水準の低かったカンボジア人スタッフの指導は容易ではなかった。いら立ち、「もう帰ろう」と思った時、ふと気が付いた。「私は知識を押し付けるだけだった。カンボジア人を変えるのじゃなく、可能性を引き出せばいい」。肩の荷が下りた気がした。
自分が本当に納得しないと従わないカンボジア人の気質にも慣れつつある。「分かるように説明すれば、その進歩は手に取るように分かる。それは病院スタッフも患者も同じです」
01年3月に赤尾さん1人で始めた訪問看護は、今ではカンボジア人スタッフを含む6人に増え、患者数も100人を数える。先月、病院敷地内に訪問看護専用の事務所も完成。「この仕事が好き。大変なことも多いけど、この達成感、充実感は、何ものにも代えがたいものがあるから」。瞳には強い意思と自信がみなぎっていた。
FWABJは、カンボジアの地域ごとにある「保健センター」の技術向上を目指す「地域医療支援・保健教育プロジェクト」にも力を入れている。
松島代表は「小児病院の充実も大切だが、さまざまな事情で診療を受けられない人が数多くいる。そのような状況で地域医療の要となるのは、保健センターだ」と言う。しかし、多くの保健センターでは、職員の技術や地域とのコミュニケーションが不足している状態で、「このプロジェクトで、病院スタッフの技能を職員に伝え、地域医療の底上げを図りたい」と話す。
病院の現地コーディネーター、モーガン・三恵子さん(41)も同プロジェクトに携わる一人。ジョン・モーガン院長と結婚後、94年にNGOボランティアとしてカンボジアへ。開院当初から病院スタッフとして活動。看護部長などを経て、病院の渉外担当もこなしている。
三恵子さんが一番気を使うのは、外国人とカンボジア人とのコミュニケーションだ。「外国人スタッフの中には『教えてやる』という姿勢が見え見えの人もいる。普段から言いたいことをなかなか言わないカンボジア人は、心を閉ざしてしまうんです」
三恵子さんがある村を訪問した時のこと。村人たちは、外国人の突然の訪問に身構えた。同行していたカンボジア人リーダーのニャン・サケムさん(58)がおどけて冗談を言い、その緊張を解いた。集落に響く笑い声に、三恵子さんも「彼は人の心をつかむのが本当にうまいんですよ」とうれしそうに笑った。
◆権限を委譲
病院も「地域医療支援・保健教育プロジェクト」も、基本理念は「カンボジア人によるカンボジア人のための医療の実現」だ。FWABJによると、病院の運営を次第に現地主導に移していき、最終的には、カンボジア政府に引き渡す計画だ。そのめどはまだ立っていないが、「最近、カンボジア人スタッフの意識が明らかに変わってきた」と三恵子さんは言う。
理由は、病院内でのカンボジア人への権限委譲にある。開院当初、医師や管理職など要職はすべて外国人スタッフだった。カンボジア人スタッフの質が向上するにつれ、責任ある仕事を任せられるようになった。現在、医師は、外国人がわずか2人に対して、カンボジア人は20人。運営全体を総括する事務長もカンボジア人だ。近く70人の看護師を総括する看護部長にも初めてカンボジア人が就く予定だ。
以前は会議でもカンボジア人スタッフは、発言を促してもイエスかノーを言うだけだった。三恵子さんは出来るだけ声を掛け、気持ちを引き出すよう心掛けている。「サケムさんだって最初はそうだった。最近はきちんと意見を言う。変化が手に取るように分かるのがうれしい」と話す。
◆プロフィル◆米ニューヨーク在住の写真家、井津建郎氏が93年、アンコール遺跡群撮影のために訪れたカンボジアで、子どもが満足な医療を受けられずにいることを知り、病院建設を決意。95年9月、「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー」(国境なき友人)を設立。大学からの友人である松島彰雄氏も理事に加わり、96年6月には同東京オフィス(現FWABJ)を設立した。99年2月に「アンコール小児病院」を開設し、これまでに約20万人の子どもたちの診察を行った。〒153―0061 東京都目黒区中目黒5の1の18。電話03・5722・2381。
◆受賞理由◆貧しさや劣悪な衛生状態の中、多くの子どもたちが命を落とすカンボジア。幼児の死亡率がアメリカの14倍、日本の24倍とも言われる理由の一つは、医療施設の不備だ。そのような環境で、無料で診療を行う「アンコール小児病院」の存在は大きい。また地方医療の拠点「保健センター」の機能充実などを図り、自立に向けた支援を行っていく「地域医療支援・保健教育プロジェクト」には政府も期待を寄せている。
2004年8月30日毎日新聞大阪朝刊





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