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| <上から>■夫のガテラ・ルダシングワさんと(吉田さん提供)■技術者に製作中の義足をつけてもらうギサガラさん=キガリの作業所で7月■義足を装着する部分の型を取る義足製作スタッフのルワガサナさん(右)。自身も左足に義足を着けている=ルヘンゲリで7月 |
◇ルワンダで義足製作
「義足があると歩きやすくなるだけでなく、気持ちの上でも大きな違いがある。自尊心を得た気分だ」
ルワンダの首都キガリの作業所。完成間近の義足を調整するために来ていたギサガラ・ピーターさん(37)が言った。義足はまだ骨格だけだが、スポンジ状のもので覆って本物そっくりの外観になる。約10年前に右足のひざから先を失ったギサガラさん。ひざの曲がり具合など感触を何度も試し、完成を楽しみにしていた。
ギサガラさんは流ちょうな英語を話す知性的なルワンダ人だ。しかし今は職に就いていない。写真撮影を申し込んでも顔は断られ、足を失った原因を尋ねても「アクシデント(事故)」としか答えない。心に負った傷の大きさを感じた。
吉田さんが日本事務所代表を務めるNGO「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」は、手足に障害を持つ人のため、義肢(義足と義手)や装具(機能を失った手足を補う道具)を体に合わせて製作し、無料で渡している。つえの提供も含め、これまでに約3800人に支援の手を差し伸べたという。
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7月下旬、うだるような暑さの大阪を出発して約25時間。飛行機を2回乗り継ぎ、キガリに着いた。赤道直下だが、高原地帯のためとても涼しい。
ルワンダは、四国の約1・4倍の国土に約820万人が暮らしている。会う人はみな明るい笑顔を見せるが、悲惨な過去を共有していた。同じルワンダ人のフツ族が少数派のツチ族を殺した94年の大量虐殺(ジェノサイド)だ。わずか3カ月間で約100万人が殺されたとされる。
同年にツチ族が政権を奪回して内戦は終わり、現在は国民融和と国家再建が進められている。しかし、内戦などで障害を負った人たちへの福祉施策は後回しになっているのが現状だ。
ルワンダ人で、吉田さんの夫ガテラさん(50)は、子どもの時にマラリアの治療で受けた注射がもとで右足が不自由になり、足に機能を補う装具を着けている。ガテラさんは「国内には、内戦や交通事故、病気などによる身体障害者が約80万人もいるが、サポートがほとんどない。日本のように、行政が障害者を支援する福祉システムをルワンダに導入したい」と力を込めて話した。
◆二人三脚で
吉田さんとガテラさんは89年に出会った。約4年間勤めた会社を辞めた吉田さんはスワヒリ語を学ぶためケニアの首都ナイロビに留学。その時にできた友人と同じ共同住宅にガテラさんが住んでいた。ガテラさんは情勢が悪化したルワンダから逃れていたのだ。
吉田さんはガテラさんの人間性にひかれ、91年、日本に招いた。来日中にガテラさんの装具が壊れたため、2人で義肢製作所を訪れ、義足づくりを初めて見た。「この技術がルワンダで必要になる。ルワンダに持っていきたい」。そう感じた吉田さんは翌年、義肢製作所に弟子入り。約5年間の"修業"を経て、97年2月、ルワンダに渡った。
それからは二人三脚の活動が始まった。ガテラさんは「真美は最初は何も知らなかったが、私がルワンダの抱える問題を話すと、すぐに理解して行動に移した。私一人では、アイデアだけで何も実現しなかった」と、妻の行動力を称賛する。
スタッフのマチュミ・ガスパルドさん(38)は「真美は仕事には厳しいが、とても良いハートを持っている。障害者は仕事を得るのが難しいが、ワンラブは仕事をくれた」と評価する。「ワンラブ」は宿泊施設も運営し、警備員など55人が働いているが、このうちポリオを患って足に障害が残ったマチュミさんを含め18人が何らかの障害を持っている。
私がルワンダを訪れた時期、吉田さんは日本にいた。義足の作製資金は日本で集めた寄付金などで賄うため、1年のうち約3カ月は日本で活動するという。出発前に会った吉田さんは、日焼けした顔で「文化の違いで苦労することも多いが、義足を渡して、ありがとうと言われた瞬間、やっていて良かったと思う」と笑った。
◆巡回診療
朝、ガテラさんの車でキガリを出発。バナナ畑の脇や、赤茶色の地肌がのぞく山間を抜け、北西約70キロのルヘンゲリ県立病院に向かった。到着すると、足に障害を持つ約70人が既に集まっていた。5日前からラジオ放送で、義足を無料で作る「巡回診療」が来ると呼びかけていたためだ。
巡回診療は、地方に住む障害者のため、02年2月に開始。吉田さんは「活動が一段落し、作った義足のデータをまとめると、首都近郊の人に集中していた。でも、内戦は全土であったんだから、これじゃいけないと思った」と説明する。
約5キロ離れた自宅から、荷台を付けた「自転車タクシー」で来た男性、ビジムング・エマニュエルさん(21)は、交通事故で右ひざから先を失った。技術者が左足の長さや太さを測り、石こうで型どりをする。「義足で歩けるようになるのはうれしい」と声を弾ませた。
ルヘンゲリはコンゴ民主共和国に接している。ンセンギマナ・ジェラッドさん(30)は、内戦中の94年に同国に逃れ、右の太ももをロケット弾で撃たれたという。破片が残っているという太ももの筋肉が痛々しい。「周りには同じ問題を抱えた人がたくさんいる。つえなしで水をくみに行けるようになると助かる」と話した。
しかし、集まった障害者全員が義足をもらえるわけではない。ガテラさんは「県や市町村の紹介状を持って来てもらうことにしている。地域に障害者が何人いて、どんな問題を抱えているのか、行政が把握しないといけないからだ」と話す。この日、義足づくりが進められたのは5人だけ。しかも、日本からの寄付が滞ると完成も延びてしまう。受付のソーシャルワーカー、バリブシャ・エベリジステさん(38)は「この地域で、今年は24人に義足を渡した。184人が順番を待ち、今日、さらに31人増えた」とリストを示した。
◇スポーツ通じ取り戻す自信
吉田さんたちは00年のシドニー・パラリンピックに選手を派遣するなど、障害者スポーツの育成にも力を入れる。スポーツを通じて、「やればできる」ことを伝えたいからだ。
ルワンダで初めてパラリンピックに出場したのは、義足製作の責任者を務めるルワガサナ・セザールさん(31)。17歳で高校を中退して軍人になり、20歳で左足に手りゅう弾を受けて足首から先を失った。99年に吉田さんたちが水泳の出場選手を募集していると知り、応募した。
午前中は義足製作を学び、午後はホテルの22メートルのプールで、水遊びする子どもたちの間を縫って練習。6人の候補者から代表に選ばれたが、結果は最下位だった。
ルワガサナさんは「初めて50メートルのプールを見て、泳ぎ切れないと思った。でも、とても楽しかった。ルワンダの自分以外の障害者がスポーツをするきっかけになったと思う」と振り返る。
障害者を集めてサッカーチームも作った。吉田さんは「物ごいをしていた人たちが多かったが、サッカーをきっかけに小さな店を始めた人もいた。スポーツを通じて、自信を持ったのでしょう」とうれしそうに話した。
◇虐殺の記憶今も
ルワンダに滞在中、何百という頭がい骨を見た。虐殺の現場となった教会が当時のまま残され、棚に犠牲者の骨が並ぶ。矢尻が刺さった頭がい骨や、たたき割られた跡が残ったものもあった。
キガリ郊外の村で、女性が教会を案内してくれた。「これはレイプされて殺された35歳の女性のひつぎです」「ここで1万人が殺されました」「この中に私のおじの骨もあります」。女性は当時11歳だったという。
キガリ市内のジェノサイド記念館では、すすり泣く女性の声が響いていた。2階に上がると、笑顔の子どもの大きなパネルがいくつも展示されている。2歳の女の子の写真には「人形が好きで、一番の友達はお父さん」と説明があった。最後に「壁に投げつけられて死んだ」との一文。全員がジェノサイドの犠牲者だった。
ジェノサイドで腕を切られた女性3人が作業所を訪れたことがあったという。吉田さんは言う。「『殺すよりは苦しめる方がおもしろい』ということだったようです。怖かっただろうな。こういうことがあったと、世界に伝えていかないといけない」
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◇受賞理由
ルワンダには義肢を製作している類似団体が少なく、同国政府からも大きな期待が寄せられている。現地スタッフのほとんどが障害者で、当事者が主体となって取り組みを進めている点も素晴らしい。また、吉田さん自身は、会社勤めを辞め、いわゆる自分探しの旅に出たアフリカでルワンダの窮状を知り、それが活動のきっかけになったのもユニークだ。
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◇プロフィル
神奈川県茅ケ崎市生まれ。義肢装具士。英語の専門学校を卒業し、会社勤めをしたが、89年に語学留学でケニアに渡り、夫ガテラ・ルダシングワさんと出会う。91年、義足製作に初めて接し、ルワンダでの義足づくりを決意。92年、横浜市の平井義肢製作所に弟子入りした。
96年1月にガテラさんとともにNGO「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を設立し、97年2月からルワンダで活動する。現在は、1年のうち9カ月をルワンダで過ごす。
〒253―0054 神奈川県茅ケ崎市東海岸南6の6の69 電話0467・86・2072、ファクス0467・86・2092
2005年8月31日毎日新聞大阪朝刊





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