受賞記念講演会

<上>■宝塚・アフガニスタン友好協会代表・西垣敬子さん <下>■アジア農民交流センター共同代表・山下惣一さん
 市民レベルの国際交流・協力活動を顕彰する「第18回毎日国際交流賞」(毎日新聞社主催、外務省後援、クボタ協力)の受賞記念講演会が9月22日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールであった。約450人を前に、団体受賞の「アジア農民交流センター」(AFEC、神奈川県横須賀市)共同代表で農民作家の山下惣一さん(70)が「百姓は越境する」、個人受賞の宝塚・アフガニスタン友好協会代表、西垣敬子さん(71)=兵庫県宝塚市=が「女性や子どもたちと共に歩む」と題し、講演した。山下さんはグローバル化が進む中での農業の厳しい現状と「地産地消」の大切さなどを指摘。西垣さんは、戦乱など激動の現地で生きる女性や子どもたちの姿をスライドとともに紹介した。【久木田照子、斉藤貞三郎、写真は山田耕司】

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 ◆希望と未来届け12年――宝塚・アフガニスタン友好協会代表・西垣敬子さん

 普通の主婦だった私は、何げなく見たアフガニスタンの写真展で大変な衝撃を受けました。内戦で栄養失調の赤ちゃんが死にかけていると聞き、何か背中を押す力が働き、気がつくと毎年通い、12年がたっていました。

 アフガニスタンは多民族国家です。ソ連が撤退し、少しだけ幸せな時代もあったけれど、主導権争いの内戦を経てタリバンが支配し、米国の空爆で政権が崩壊し、今は復興の道を歩んでいます。

 私はこの三つの時代を現地で経験しました。初めのころはずっと戦争をしていて、子どもたちは平和を知らずに育っていました。今、日本は平和ですが、特に若い人たちはありがたみを分かっていないと思います。

 私は94年11月、パキスタンから初めて現地に入りました。「落ちても責任は問わない」という書類に署名させられ、国連のプロペラ機で着いたのがジャララバード。35万人がテント生活をしている難民キャンプの光景にびっくりしました。

 赤ちゃんのミルク代として寄付金40万円を持ち込むと、「赤ん坊は夏の間にみな死んだのでいらない」と言われ絶句しました。ここでは夏は45~50度になるんです。

 イスラムの国では、女性は外出しにくいため、テントの中にいました。女性の代表から「刺しゅうを習いたい」と要望があり、95年に女性の現金収入を図ろうと、洋裁教室を開きました。

 しかし、タリバンは女性の就学や就業を禁止し、洋裁教室も解散に追い込まれました。小学校から大学まですべて閉鎖され、5年間続きました。子どもたちの教育の空白に危機感をもった保護者らが元教師を雇い、民家の中庭などで開いたのが「隠れ学校」です。

 私たちは、最終的に女性教師22人の給料を払い続けました。月に2000円。10人家族が死なない程度に生きていける額です。でも、タリバンに見つかれば私も牢獄(ろうごく)に入れられる、と怖かった。

 そんなある日、裁判所のタリバンの判事に呼び出されました。「ばれた」と思い、震える足で入ると、奥の職員住宅で判事の妻らが隠れ学校を開いていた。「妻たちの給料も払ってくれ」という話だったんです。タリバンは隠れ学校も見て見ぬふりをしていたと知り安心しました。彼らが北部でひどいことをしたのも知っていますが、私が会ったのは親切で礼儀正しい若者ばかりでした。

 01年10月、米国の空爆が始まりました。アフガニスタンの人たちは、同時多発テロの映像を見ておらず、なぜ突然空爆されるのか分からないまま、誤爆で死んでいきました。そして、タリバン政権が崩壊したのです。

 次の02年4月の新学期、女子の学校も再開され、私も新しいプロジェクトを始めました。ナンガハル国立大の学長に頼まれて03年4月に女性用トイレを作ると、完成パーティーを開くほど喜ばれました。また、サッカー場の整備もして、日本から贈られたユニホームで親善試合もできました。

 現地の子どもや一生懸命生きている女性たちの姿を見ていただいたら、アフガニスタンのことを少しは知っていただけると思い紹介しました。今日はありがとうございました。

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 ◆「農」が支える環境と命――アジア農民交流センター共同代表・山下惣一さん

 「百姓」という言葉は、差別用語に類するとされ、ほとんど使われません。でも、もともと貴族社会に対する百の姓(かばね)、庶民という意味です。生きる基本が身についた「まるごと人間」であり、そうなりたいと思います。

 私は、佐賀県の唐津で百姓をしています。東京で米の輸入自由化反対デモに参加して(後にAFECの共同代表になる)菅野芳秀と出会い、タイ行きを誘われました。タイからはエビや焼き鳥などいろいろ来ます。日本人は「農産物の輸入で向こうは助かる。国際貢献だ」と思っていますが、本当にそうでしょうか。

 最貧の東北タイに行きましたが、世界一の米輸出国なのに、食べる米のない農家がたくさんある。そんな実態にショックを受け、紀行文を書いて印税を寄付しました。

 そうして(AFECが)スタートして15年たちましたが、タイの農民に「こうしたらどうか」と言うことは、自分たちを考えることでもある。交流して思うのは、日本の農民は忙しい。農業が産業化し、お金を稼ぐことを目的にしてしまったからだと思います。

 農業を分けて考えると「農」の部分は90%、「業」は10%しかない。土手やあぜなどの草刈りなどはやらなければならないが、商品になるのは米だけ。でも、そういう9割の金にならない「農」の世界が環境を支えている。道路はきれいになり、ヒガンバナも咲き、カエルもトンボも育つ。工業が作り出すのはモノですが、農業は命です。これを評価すべきです。しかし今のような「商品」をどんどん作る形で農業を守れるでしょうか。

 タイの農民も輸出作物ばかりで大きな借金を抱えている。そこで考えたのが「地産地消」です。グローバリゼーションで国際商品としての米の価値はどんどん下がっている。だからこそ、自給する意味や価値がある。自分で食べ物を育て、自分で食べるのは豊かな世界で楽しい。売らない百姓が一番幸せです。

 日本の農業の近代化政策で、間違いだったと思うことが三つあります。一番の問題は「手段の目的化」。そこで暮らすための手段だったのに、農業をすることが目的となった。すると、周りの経済成長に合わせて大きくならざるをえず、地域社会が成り立たなくなる。

 二つ目は「循環の破壊」。産業としてやるため深刻な連作障害が起きる。また、食えなくなった商店が地域から消え、地域内循環がなくなった。三つ目は「成長の強制」です。私は成長がなくても循環があればいいと思います。来年から政策が大きく変わり、大規模農家だけを支援するようになりますが、経営破たんしたら、どうするのか。

 戦後の農地改革が目指した未来社会と、今のグローバリゼーションの中で競争力をつけようという方向は逆を向いています。タイも日本も韓国も、農業の状況は同じ。私たちは交流しながら、小さな農家が生きていける方法を模索しています。ごう慢な言い方ですが、日本の農民は非常に優秀です。消費者の理解も非常にある。何とかアジアのモデルとなれる農業の在り方を作っていきたいと思います。これからもご支援ください。

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 ◆選考経過の報告――佐々木高明・委員長

 第18回毎日国際交流賞には団体78件、個人41件の計119件の推薦があり、過去最多となった一昨年の121件に劣らない数でした。事務局の1次選考で団体5件、個人4件に絞った上で、選考委員会が時間をかけ慎重に審議した結果、受賞者を決定しました。

 アジア農民交流センターは1991年に設立され、タイの農民らと交流を深めています。その最大の特長は「循環型の地域づくり」です。生ゴミをたい肥化して供給する「レインボープラン」や、農産物の朝市など地元産品を地元で消費する「地産地消」の取り組みは単なる技術支援でない「農民の知恵の交流」として高く評価しました。

 西垣さんは94年に「宝塚・アフガニスタン友好協会」を設立しました。イスラム社会では、男ばかりの援助団体は女性に何もできない欠点に気づき、難民女性の自立のため、単身、ミシンを持ち込んで裁縫教室を開設。タリバン政権下では「隠れ学校」の教師を支え、現在は大学の女子寮建設などに努力しています。これまで約30回足を運び、常に現地の人々の目線に立った支援を地道に続けています。

 現在、世界はグローバリゼーションという大きな流れの中にあり、背後には大国のエゴが見られます。国際農産物の市場も競争原理が優先し、地域の農民と消費者を直接結びつける地道な動きが無視されている。アジア農民交流センターの活動は、こうした大きな動きに抵抗しながら、地域と消費者を結びつける草の根の運動という性格が強い。また、西垣さんの活動は、大国のエゴが渦巻くようなアフガンという地域で、弱い立場の女性、子どもの心をつなぎとめる貴重な活動です。

 毎日国際交流賞は、今後もこうした大きな流れの中で、ともすれば見失われてしまう「人の心と心をつなぐ草の根の活動」を高く評価し、支援していきます。(国立民族学博物館名誉教授)

2006年10月5日毎日新聞大阪朝刊掲載