ホーム> イベント> 顕彰> 毎日国際交流賞> 19回> 個人受賞 辺境の農村に学校建設――カトリック吉祥寺教会神父の後藤文雄さん

個人受賞 辺境の農村に学校建設――カトリック吉祥寺教会神父の後藤文雄さん

バッタンバン州の村に建設した小学校の開校式後、子どもたちと交流する後藤文雄さん(中央右)とメアス・ブン・ラーさん(同左)=昨年1月
 第19回毎日国際交流賞(毎日新聞社主催)は、栃木県立栃木工業高校(栃木市)の栃工高国際ボランティアネットワーク(代表・高田明同校生徒会長)と、NPO法人「AMATAK カンボジアと共に生きる会」(東京都武蔵野市)代表でカトリック吉祥寺教会神父、後藤文雄さん(77)に決まった。栃工高国際ボランティアネットワークは、使われなくなった車椅子を修理して世界各国に届けるほか、生徒が毎年、タイに出向いて修理活動もしている。後藤さんは里子であるかつてのカンボジア難民とともに、カンボジア辺境の農村で学校建設を続ける。それぞれの活動を紹介する。【前田幹夫】

 ◆辺境の農村に学校建設--カトリック吉祥寺教会神父の後藤文雄さん

 世界遺産のアンコール遺跡群があるカンボジア・シエムレアプから北西に約140キロ。日本製の四輪駆動トラックで陥没だらけの国道を約3時間かけて走り、タイ国境に近いバンティアイ・ミアンチェイ州プラウダムレイクラウ村に通じる農道の入り口に到着した。ここで、黒く光る小銃を手にした軍服姿の4人がトラックの荷台に乗った。「援助のために来た外国人の安全のため」と、同州が派遣した民兵だ。

 記者が訪ねたのは雨期の7月末。1日に数回、強い雨が降るため、農道の赤土は粘土状にぬかるみ、あちこちがえぐられていた。トラックは何度もぬかるみにタイヤを取られ、カンボジア人運転手がハンドルをせわしく回す。農道を右往左往しながら少しずつ前進し、約50分で同村に着いた。

 この国の農道では、車がぬかるみにはまって動かなくなり、車内に1、2泊せざるを得ないことも多いという。途中、トラクターの荷車が何台か動けなくなっていた。

 同村は人口約2000人。かつてポル・ポト派が支配していた。今も電気や水道がない。暮らしは貧しく、学校も未整備。これまでいくつかの援助団体が学校をつくろうと視察に来たが、道路事情を理由にあきらめた。

 後藤さんらは、こうした「見捨てられた辺境の地」での学校建設に努める。同村にも00~01年、小学校が建った。実務を一手に引き受けるのは、後藤さんの"息子"、メアス・ブン・ラーさん(42)。かつてはポル・ポト派の少年兵だった。

 ◇少年兵だった"息子"

 後藤さんは81年から、来日したものの行く先のないカンボジア難民の少年少女14人を引き取り、寝食をともにして育てた。ラーさんも82年、後藤さんの里子になった。

 ラーさんは首都プノンペンで、陸軍将校の父と王族出身の母の裕福な家庭に育った。しかし、10歳のころ、父の出張先を訪ねた際、ポル・ポト派に連行された。ポル・ポト派は75年に政権を掌握。急進的な共産化を進め、知識層らを中心に大量の国民を虐殺した。ラーさんは殺害されないよう身元を偽り、生き残るために少年兵となった。

 ある日、ラーさんら5~6人の少年兵はベトナム兵の急襲を命じられた。夜明け前、森に潜むベトナム兵めがけ突進し、3人をナイフでめった刺しにした。「命じられたら何でもした。自分が殺されないためにはそれしかなかった。いつも逃げることばかり考えていた」と振り返る。

 80年ごろ、ポル・ポト派の勢力が衰退すると、ラーさんはタイ国境を越えて難民キャンプに逃げ、日本に渡った。

 ◇決断の資金は150万円

 ラーさんは日本で、働きながら夜間中学、定時制高校、専門学校に進み就職もした。しかし、少年兵の時のあの忌まわしい記憶に何度も襲われ、間もなく体調を崩した。「自分だけが平然と暮らしていいのか......」

 94年、後藤さんは自らの「罪」に苦しむラーさんを祖国に里帰りさせた。ラーさんは行方不明の家族を捜し歩き、妹1人と再会した。そして、祖父の墓参のために訪れたプノンペン近郊の農村で、老僧侶から学校建設を熱望する手紙を渡された。日本に戻って、後藤さんに伝えた。後藤さんは「やろう」と決断した。

 日本に永住するつもりだったラーさんは祖国に戻り、学校建設に挑むことを決めた。資金は後藤さんの私財150万円。「失敗は許されない」。政府との交渉、資財の調達、建設業者探しなどに走り回り、数時間かかる現場を毎日訪れて進行をチェックし、ついに1校目を完成させた。

 後藤さんは「自殺をも考えたラーが生き返った。父としてこんなうれしいことはない」と語る。ラーさんは「貧しく、教育も受けていない農村出身者がポル・ポト政権を支持し、虐殺に加わった。教育は祖国の将来に欠かせない。お父さんと一緒に死ぬまで学校をつくり続けたい」。海を越えた父子の連携が貧しい村人に希望を与えている。

 ラーさんに実父母のことを聞いた。「たぶんポル・ポト派に殺されたと思う。でも、ぼくは見ていない。どこかで学校建設のことを知って喜んでくれてるかもしれない」。彼はそう言って、目頭を押さえた。

 ◇友達たくさんできた

 プラウダムレイクラウ村の学校には、子どもたちの笑顔があふれていた。同村と周辺から6~14歳の約520人の生徒が通う。集まった子どもたちを前にラーさんは目尻を下げ、「学校は楽しいか」と話しかけていた。

 プー・チューン校長(50)は「立派な学校ができて、親に働かされていた子どもも、通うようになった」。5年生の女子生徒、チャン・ラ・リーさん(14)は「私の村には学校がない。ここができてから、この村に住む祖母の家に住み込んで通っている。友達がいっぱいできて学校は楽しい」とはにかんだ。

 後藤さんらは現在、同村から荒れた農道をトラックで約1時間走ったピンポン村で、14校目を建設中だ。見渡す限りの水田に囲まれた敷地に、鉄筋コンクリート造りの校舎の骨格ができ上がっていた。10月に完成し、来年初めに開校の予定だ。

 約20年前、農作業中に地雷被害にあって右腕を失った村人のヤエーム・トゥームさん(62)は「この学校で村の子どもがいっぱい勉強して、この国の将来を担ってほしい」と目を細めた。

 後藤さんは初め、難民を引き取るのに積極的でなかったという。「異国の子どもを育てるなんて考えられないから。でも、彼らの父になってほんとうに幸せだった。彼らを育てたのではなく、私が、純粋な彼らに育てられた。学校建設はその恩返し。今後も貧しい村人に学校を贈りたい」と話した。

 ◇プロフィル

 1929年、新潟県長岡市生まれ。神言神学院に進み、60年神父。81年から計14人のカンボジア難民の子を里子として引き取って育てた。里子の1人がカンボジアに帰国した際、「村人に希望を与えたい。日本の力で学校をつくってほしい」という僧侶の手紙を受け取り、95年から里子とともに学校建設を始める。これまで13校が完成し、現在、14校目を建設中。自分が死んでも活動が途絶えないようにと、NPO法人「AMATAK カンボジアと共に生きる会」を設立した。同会事務局は東京都武蔵野市御殿山1の7の8。0422・42・4855。

 ◇受賞理由

 道路などが整備されておらずアクセスが極めて難しかったり、旧ポル・ポト派支配地域など、カンボジア政府や各国の援助団体の手が届きにくい貧しい農村で、地道に学校を建設していることが評価された。建設までの実務を担っているのは、かつてのカンボジア難民で、自ら引き取って育て上げた"息子"。父と子の連携が可能にした活動であり、現地からも絶大な信頼を得ている。今も数十の地域から建設の依頼が続いており、カンボジア復興に欠かせない援助活動となっている。

.............................................

 ◇毎日国際交流賞

 市民レベルの国際交流・協力で優れた活動を顕彰し、草の根の活動の支援と促進を目的に、毎日新聞社が89年に創設した。全国からの推薦を基に本社委嘱の選考委員が審議して決めている。
 選考委員は、佐々木高明(国立民族学博物館名誉教授)、陳舜臣(作家)、北沢洋子(国際問題評論家)、湯下博之(元駐フィリピン大使)、熊岡路矢(日本国際ボランティアセンター理事)の各氏と朝比奈豊(毎日新聞社主筆)。

.............................................

 ◇受賞記念講演会--来月21日、毎日新聞大阪本社で

 「第19回毎日国際交流賞」の表彰式・受賞記念講演会を開きます。
 <日時>9月21日(金)午後2時~4時半
 <会場>毎日新聞大阪本社オーバルホール(大阪市北区梅田3の4の5)
 <講演内容>「実践してみよう!地域と世界をつなぐボランティア活動を」栃工高国際ボランティアネットワーク、三宅健太さん、関口和秀さん、高田明さん▽「カンボジアと共に生き共に生かされて27年」後藤文雄さん(カトリック吉祥寺教会神父)
 <参加料>無料
 <参加申し込み方法>はがきに郵便番号、住所、氏名を明記し、〒530―8251 毎日新聞大阪本社総合事業局「毎日国際交流賞事務局」(06・6346・8377=平日10~18時)へ。折り返し入場証を郵送します。

 主催 毎日新聞社
 後援 外務省ほか
 協賛 株式会社クボタ