◆世界で花開く、草の根の心
市民レベルの国際交流・協力活動を顕彰する「第20回毎日国際交流賞」(毎日新聞社主催、外務省後援、クボタ協賛)の受賞記念講演会と記念シンポジウムが9月27日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールであった。
団体受賞のNPO法人「シェア=国際保健協力市民の会」の本田徹代表理事(61)が「プライマリ・ヘルス・ケアと保健NGOの四半世紀――『人びとと共に』を求めて」▽個人受賞の同「JHP・学校をつくる会」代表理事で脚本家、小山内美江子さん(78)が「共に生きる」と題して講演し、それぞれの活動や国際協力への思いを語った。また、シンポジウムは、過去の受賞者4人が「草の根国際交流の役割と今後の課題」のテーマで議論を深めた。【構成・池田亨、稲垣淳、日野行介、写真・幾島健太郎】
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【受賞記念講演】
■「プライマリ・ヘルス・ケアと保健NGOの四半世紀―『人びとと共に』を求めて」 シェア=国際保健協力市民の会代表理事 本田徹さん
◇当事者主権の市民社会に
シェアの活動の基本は「プライマリ・ヘルス・ケア」の理念です。健康はすべての人にとっての基本的人権という考え方で、住民のニーズを基本に、住民参加の医療や保健を行うとか、医療アクセスの公平性を尊重するなどの原則を立てています。
シェアは四半世紀にわたり、海外と日本との活動を有機的に結び付けることに努力してきました。現在の海外活動拠点はタイ、カンボジア、東ティモール、南アフリカです。
海外での活動を振り返ると、85年の飢餓に苦しむエチオピアでJVC(日本国際ボランティアセンター)と共に行った現地の病院での緊急医療活動が契機です。有意義でしたが、医療協力が地域の保健レベルを恒久的に引き上げることの限界を知りました。住民自身が問題解決能力をつけるのを我々が見守り育てる視点が重要だと気付かされました。
カンボジアでの活動は88年からです。1地域に6~10年のスパンでかかわり、伝統的な助産師に医学的基礎知識を教えるなどして地域の保健システムを向上させるのです。今は地域の保健ボランティアが保健所の活動を支えたり、住民の健康問題に対応し、啓発的な活動ができるようサポートすることに、役割を見いだしています。
タイでは下痢予防活動から始め、94年からはHIV感染の予防啓発に取り組みました。県や郡病院レベルでの患者の自助グループ作りのサポートなどです。抗HIV薬の服用方法など地域での治療方法を感染者自身が学び、NGOや病院と連携して新規感染者のサポートができるようになりました。今年は、ラオスからの移住労働者支援をタイ国境で始めました。
東ティモールには99年に緊急医療支援で入り、02年から保健教育促進プロジェクトをしています。シェアが開発した蚊に刺されない生活上の工夫などの教材を、村の集会で保健ボランティアが披露し、住民が適切な予防ができるように努力しています。
国内の活動も重要です。シェア設立間もない84年、東京・山谷に医療ボランティアとして入りました。NPO「山友会」と提携して活動は今も続いています。もう一つは在日外国人医療支援です。横浜市の港町診療所とシェアが定期的に無料健康相談会を行います。劣悪な職場条件での労働を余儀なくされる人は結核のリスクが高く、相談者の罹患(りかん)率は全国平均の十数倍に達します。大阪府の統計ではホームレスはもっと高い。感染症ですから医療アクセスの実現が重要です。オーバーステイなどの理由で排除せず、病気を早期発見することが一般の日本人のためにも必要だとわかると思います。
ホームレスや難民など医療に恵まれない人ほど病気になりやすい。ところが実際は、言葉や経済的な問題で受診が難しい傾向が強くなっている。それが「逆さま医療ケアの法則」で、イギリスの皆保険制度の中でも、いかに解消するかが重要な課題だと聞いています。今の日本でも重要な課題になっています。
少数者が生きにくい世の中は結局、多数者にとっても開かれた社会にならないというのが私たちの基本的な認識です。当事者主権の市民社会を形成していくのが、私たちの重大な課題と思っています。受賞を励みに、さらに努力したいと考えています。
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■「共に生きる」 JHP・学校をつくる会代表理事 小山内美江子さん
◆気負わず、できることから
今日は素晴らしい賞を頂きました。喜びでいっぱいです。
私は「3年B組金八先生」というドラマの脚本を書いていました。始まったのが79年です。カンボジアをそれまで治めていたポル・ポト政権がとんでもないことをしており、79年にポル・ポトが追い出された時、一般のカンボジア国民もタイに向かって逃げたんです。そこに国連が入り、タイ国境に難民キャンプができました。そのニュースが日本に流れてきました。私もこれは大変だと思い、ドラマの中で「受験一本やりでなく、世界のことを理解する必要があるのではないか」という場面を書きました。
以来、いつかカンボジアに行こうと思っていましたが、90年に先に中東に行きました。90年は日本にも私にとっても揺れた年でした。イラクがクウェートに侵攻し、サウジアラビアがアメリカに助けを求めます。アメリカがいろんな国に声をかけ、兵隊がいろんな国から来て、サウジに陣を敷きます。これが湾岸危機です。先進国で兵隊を出さなかったのはドイツと日本だけでした。
この年に母が91歳で亡くなりました。ものすごく悲しかったけれど、子育てと介護が終わり、解放されたという気持ちも、心の隅にありました。大河ドラマ「翔ぶが如く」の仕事も終わり、私は60歳でした。これからどう生きていくのか。まじめに考え、今までやらなかったことをやってみようと思いました。自分の時間、自分のお金を自分のために使おうと思ったのが、恥ずかしいですが、素晴らしい賞をもらう元になりました。
日本は兵隊を出せないのでお金を出した。なのに「日本は金だけ出して血も汗も流さない」と批判を受けた。憲法で「戦争をしない」と世界に約束したことを守り、その上お金を出しているのに、批判される筋合いはないと私は思います。
難民キャンプで世話をした日本人の記事を読んだのをきっかけに90年、息子たちとヨルダンに渡りました。その後、91年の夏休みには学生たちと一緒に、イラン側に逃げたクルド人の救援に行きました。夏で暑いのに、女性は手の先と顔しか素肌を出してはいけない。水道からは茶色の水が出る。ミネラルウオーターが届くまでは、やかんで煮沸します。そんな状況で、女子学生が「日本っていい国だったんですね」と言いました。おしゃれが当たり前と思って育った若い人が異文化と出合うわけです。
91年秋のカンボジア和平調印の後、92年に学生を連れて行きました。難民が列車でカンボジアに帰って来るのですが、プラットホームでないところに止まるから、子供やおばあさんが降りられないんです。それをオレンジ色のTシャツを着た学生たちが迎えます。20年も自分の国から離れていて、不安でいっぱいでしょう。でも、その人たちは「列車が着くと、オレンジ色のTシャツの若者たちがいる。安心してその人たちに手や荷物を委ねなさい」と言われていたと、後で知りました。
できることからやりましょうというのが私たちの考えです。ボランティアって、まなじりを決してやらなくてもいい。楽しんで、お互い良かったね、という言葉を大事にしながらやっていけばいいと思います。私たちは、教師の8割が虐殺された国にとって教育は大切なんだという思いで頑張っています。
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◆選考委員長報告--佐々木高明さん(国立民族学博物館名誉教授)
◇タイをはじめ国内外で保健医療支援--シェア
◇カンボジアなどで教育施設再建--小山内さん
第20回の節目を迎えた今年の毎日国際交流賞は、国内外から団体81件、個人31件の計112件の推薦がありました。事務局の1次選考で団体7件、個人5件に絞り、選考委員会の慎重な審議で受賞者を決定しました。
「シェア=国際保健協力市民の会」は1983年に結成された保健医療専門の国際協力NGOです。HIV感染者が100万人以上といわれるタイで、エイズ予防教育や感染者の支援活動を展開しています。カンボジアの農村で母子への保健教育や保健スタッフの養成を手がけ、東ティモールでは保健教育促進プロジェクトに取り組み、南アフリカではHIV陽性者のサポートを進めています。
日本国内でも在日外国人のための医療活動に取り組んでいます。国内外どちらかに偏らずバランスが取れた活動を、四半世紀にわたり続けています。
小山内美江子さんは脚本家として著名ですが、内戦の激化でカンボジア難民が流出した79年ごろ国際協力へ関心を持ちました。「いつかはカンボジアに」との思いを抱き、90年秋、イラクがクウェートを侵攻した湾岸危機の際、ヨルダンの難民キャンプでボランティア活動をしました。
ポル・ポト政権下で破壊されたカンボジアの教育施設を再建するため、93年にJHPを設立し、これまでに手掛けた校舎は200棟を超えます。音楽、美術などの情操教育も進め、活動はラオス、インド、アフリカ諸国にも広がっています。国際協力を支える若者の育成にも積極的です。
最近の世界情勢を見ると、超大国を中心とする大きな力が、弱く小さな人たちを抑圧することが少なくありません。毎日国際交流賞はアジア、アフリカをはじめとする小さく弱い立場の人に、草の根レベルで援助の手を差し伸べ、心と心の交流を長年実践してきた人を表彰してきました。ささやかな賞ですが、弱い人たちの立場に立ち、心の交流を進めてきた意義は小さくありません。今後ともご援助をお願いします。
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【記念シンポジウム】
■草の根国際交流の役割と今後の課題
◇「ファミリー」と呼ばれる関係を--AMDAグループ代表 菅波茂さん
◇互いに育っていくことが大切--NGOアフリカ友の会代表 徳永瑞子さん
◇基本は地元の価値観の尊重--日本国際ボランティアセンター理事 熊岡路矢さん
◇需要に合った協力が信頼生む--カレーズの会理事長 レシャード・カレッドさん
記念シンポジウムは、過去の毎日国際交流賞受賞者で、選考委員でもある熊岡路矢さん(61)=日本国際ボランティアセンター(JVC)理事、第4回団体受賞=をコーディネーターに、▽菅波茂さん(61)=AMDAグループ代表、第7回団体受賞▽徳永瑞子さん(60)=NGOアフリカ友の会代表、第14回個人受賞▽レシャード・カレッドさん(58)=カレーズの会理事長、第8回個人受賞=が、紛争地などでの安全管理や、国際協力活動の課題などについて意見を交わした。当初参加を予定していたペシャワール会現地代表、中村哲さんは、スタッフの伊藤和也さんが派遣先のアフガニスタンで誘拐・殺害された事件の影響で欠席した。
◆活動の安全確保
熊岡 NGOスタッフの安全確保をどう図っていますか。
菅波 25年の活動で死傷者は一人も出ていない。(1)運の強い人を送る(2)相手から人質を取る(3)相手の血縁共同体社会のおきてをよく研究する、の三つが理由だ。04年12月のスマトラ沖地震の際、AMDAは紛争地帯の被災地2カ所にも入った。スリランカ北東部の反政府組織「タミールの虎」が支配する地域では以前から、攻撃を受けないよう虎の本部の隣に事務所を置き、虎の組織の人間に事務所に入ってもらっていた。これが「人質」。現地組織の幹部同士の血のつながりを安全のために使うことも必要だ。また運の強い人は、派遣を頼むとすぐに「行く」と言う。いろいろ質問する人は何か(悪い予感を)感じているということなので行かせない。この3点で危機管理をしてきた。
徳永 安全と言われていた中央アフリカで93年に活動を始めたとたん、部族紛争が頻発した。03年3月のクーデター時は日本に待機していたが、何もかも略奪されたと聞いた。今は日本に拠点を置き、年に2、3回、現地に行くが、何か起きた時は受け入れる覚悟を持たないといけない、と肝に銘じている。アフリカは広く、移動手段が飛行機しかない。この1、2年、コンゴ民主共和国での人道支援中、事故で四十数人が死亡した。現地で交通事故に遭うと、ほとんど助からない。そういうことを受け入れることが必要と思う。
レシャード 相手側のおきてを守るのは基本スタンスと思う。相手の生活様式や文化に従って一緒に暮らすことで親近感が生じる。行動が目立たないことが安全につながる。また、相手の需要に見合った協力をすることが信頼感を生み、大きな武器になる。
ペシャワール会の伊藤さんは初めカレーズの会に所属していた。献身的に働いていた彼を「兄弟としてまつりたい」と、村人が現地に墓を建てることになり、ご家族が遺骨の一部を分けた。伊藤さんのお母さんは死亡確認の日、私に「和也はアフガンの子どもたちに新鮮な野菜を食べさせたいと思って行った。お願いだから活動をやめないで。彼の思いを続けてやってください」と言われた。伊藤さんも家族も信念を持っていた。ただ、いくら相手に信頼されても、事故の危険は免れない。遠隔操作というか、現地の優秀な人を使って技術移転などを進めるシステムを作る必要がある。
熊岡 協力の基本は、地元の人々の文化や誇りを傷つけないこと。援助する側の価値観で進め、人間関係が壊れることはよくある。安全にも跳ね返ってくる。
◆NGOの課題
熊岡 今、NGOが抱える課題は。
菅波 日本のNGOが分かっていないのは、日本の教育と、国境を越えた世界は全く別ということ。世界は差別だらけだ。その差別が何を基準にしているか、よく知る必要がある。国連など国際機関にも「メンバーシップ」という差別があり、大きな壁になっている。そのことを踏まえる必要がある。
徳永 治安の問題で03年に帰国した時、現地の人に仕事を全部任せたが、私よりもっとうまくやっていた。帰国が彼らにチャンスを与えた。途上国というと、指導しなければと気負うことがあるが、そうじゃない。民間団体は永遠に居られないので、現地の人たちに自立してもらわなければいけない。私は日本でNGOを育てるなどの仕事をし、交流しながら互いに育っていく。それが国際交流で一番いいことと思う。
レシャード 援助は永遠ではない。最終的に相手が自立しないと、どうにもならない。協力の目的と時間の目標を明確にする必要がある。彼らの能力や思いを生かし、技術移転をきちんとして自分でやっていけるようにするためには、互いの信頼が必要だ。
熊岡 国際協力で難しいのは、援助を受ける側だけでなく、援助する側も、その行為に自己満足することがある点。お互いに自立する必要がある。
◆国内外の活動両立
熊岡 国外と国内の活動をどう両立させていますか。
菅波 今後、外国の人が日本にたくさん来て、内なる国際化が進む。海外の習慣や社会規範が持ち込まれた時、摩擦が起きる。AMDAの国際医療情報センターは在日外国人の健康医療相談を受けているが、健康や病気に関する習慣などのデータを蓄積すると、役に立つと思う。マラリアなどの熱帯風土病が日本に持ち込まれた時、臨床医は経験がないと難しいので、シンガポールなどで実際に治療させている。いずれはそういう状況になると考えて活動している。
徳永 学生をアフリカに連れて行く際、三つのことを言う。(1)毎日シャワーを浴びられると思う人はだめ(2)毎日メールをしたい人もだめ(3)何でも食べられる人。この3条件をクリアできるなら、と呼びかけると、みんな参加する。水不足や停電、メールをできない環境にも適応している。今の若い人たちに非常に可能性を感じている。
レシャード 学生たちに、日本の当たり前の文化だった「もったいない」の精神がなくなっている。学校でよく講演をするが、国際社会の実情とともに、日本も50~60年前のこんな時代を乗り越えてきた、今の高齢者の努力のおかげでぜいたくができる、と話す。今の生活の中で世界の状態を把握し、世の中にはこんな生活もあると知ること、そして自分に何ができるか考えることが重要だ。
熊岡 菅波さんからも若い人へメッセージを。
菅波 海外へ出ると、日本以外はすべて血縁共同体社会と思ってほしい。彼らにとっては、血のつながった身内、友人、赤の他人の3種類しかない。キーワードは「ファミリー」。相手に「あなたとファミリーのように付き合いたい」と言わせれば間違いない。ぜひ「ファミリー」と呼んでもらえる人間関係をつくってほしい。
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■人物略歴
◇すがなみ・しげる
広島県生まれ。77年、岡山大大学院医学研究科修了。84年、カンボジア難民キャンプで活動した医師らとAMDA設立。「救える命があればどこへでも」をモットーに、世界各地で地域保健医療活動や自然災害の緊急医療活動を推進。30カ国に支部、プロジェクト実施は50カ国に上る。
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■人物略歴
◇とくなが・みずこ
福岡県生まれ。看護師、助産師。九州大医学部付属助産婦学校卒業後、71年、旧ザイール(現コンゴ民主共和国)の診療所勤務。93年、中央アフリカの首都バンギを拠点に会を設立、HIV感染防止に取り組む。03年のクーデター後は日本に拠点を置く。聖母大国際看護学教授。
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■人物略歴
◇くまおか・みちや
東京都生まれ。80年、タイでJVC創設に参加、インドシナ難民救援にあたる。カンボジア、ベトナムなどの農村開発、アフガニスタン、パレスチナなど紛争地での人道支援にも携わる。現在、東京大大学院客員教授、国連難民高等弁務官駐日事務所アドバイザー。
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■人物略歴
◇レシャード・カレッド
アフガニスタン生まれ。76年、京都大医学部卒業後、日本の病院に勤務。旧ソ連のアフガン侵攻で帰国を断念し、日本国籍を取得。診療の傍らパキスタン、アフガンなどの難民キャンプで医療奉仕活動を推進。93年、静岡県島田市で医院開業。過疎・無医地区で健康相談も続ける。
(2008年10月21日毎日新聞大阪朝刊)
市民レベルの国際交流・協力活動を顕彰する「第20回毎日国際交流賞」(毎日新聞社主催、外務省後援、クボタ協賛)の受賞記念講演会と記念シンポジウムが9月27日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールであった。
団体受賞のNPO法人「シェア=国際保健協力市民の会」の本田徹代表理事(61)が「プライマリ・ヘルス・ケアと保健NGOの四半世紀――『人びとと共に』を求めて」▽個人受賞の同「JHP・学校をつくる会」代表理事で脚本家、小山内美江子さん(78)が「共に生きる」と題して講演し、それぞれの活動や国際協力への思いを語った。また、シンポジウムは、過去の受賞者4人が「草の根国際交流の役割と今後の課題」のテーマで議論を深めた。【構成・池田亨、稲垣淳、日野行介、写真・幾島健太郎】
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【受賞記念講演】
■「プライマリ・ヘルス・ケアと保健NGOの四半世紀―『人びとと共に』を求めて」 シェア=国際保健協力市民の会代表理事 本田徹さん
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| シェア=国際保健協力市民の会代表理事 本田徹さん |
シェアの活動の基本は「プライマリ・ヘルス・ケア」の理念です。健康はすべての人にとっての基本的人権という考え方で、住民のニーズを基本に、住民参加の医療や保健を行うとか、医療アクセスの公平性を尊重するなどの原則を立てています。
シェアは四半世紀にわたり、海外と日本との活動を有機的に結び付けることに努力してきました。現在の海外活動拠点はタイ、カンボジア、東ティモール、南アフリカです。
海外での活動を振り返ると、85年の飢餓に苦しむエチオピアでJVC(日本国際ボランティアセンター)と共に行った現地の病院での緊急医療活動が契機です。有意義でしたが、医療協力が地域の保健レベルを恒久的に引き上げることの限界を知りました。住民自身が問題解決能力をつけるのを我々が見守り育てる視点が重要だと気付かされました。
カンボジアでの活動は88年からです。1地域に6~10年のスパンでかかわり、伝統的な助産師に医学的基礎知識を教えるなどして地域の保健システムを向上させるのです。今は地域の保健ボランティアが保健所の活動を支えたり、住民の健康問題に対応し、啓発的な活動ができるようサポートすることに、役割を見いだしています。
タイでは下痢予防活動から始め、94年からはHIV感染の予防啓発に取り組みました。県や郡病院レベルでの患者の自助グループ作りのサポートなどです。抗HIV薬の服用方法など地域での治療方法を感染者自身が学び、NGOや病院と連携して新規感染者のサポートができるようになりました。今年は、ラオスからの移住労働者支援をタイ国境で始めました。
東ティモールには99年に緊急医療支援で入り、02年から保健教育促進プロジェクトをしています。シェアが開発した蚊に刺されない生活上の工夫などの教材を、村の集会で保健ボランティアが披露し、住民が適切な予防ができるように努力しています。
国内の活動も重要です。シェア設立間もない84年、東京・山谷に医療ボランティアとして入りました。NPO「山友会」と提携して活動は今も続いています。もう一つは在日外国人医療支援です。横浜市の港町診療所とシェアが定期的に無料健康相談会を行います。劣悪な職場条件での労働を余儀なくされる人は結核のリスクが高く、相談者の罹患(りかん)率は全国平均の十数倍に達します。大阪府の統計ではホームレスはもっと高い。感染症ですから医療アクセスの実現が重要です。オーバーステイなどの理由で排除せず、病気を早期発見することが一般の日本人のためにも必要だとわかると思います。
ホームレスや難民など医療に恵まれない人ほど病気になりやすい。ところが実際は、言葉や経済的な問題で受診が難しい傾向が強くなっている。それが「逆さま医療ケアの法則」で、イギリスの皆保険制度の中でも、いかに解消するかが重要な課題だと聞いています。今の日本でも重要な課題になっています。
少数者が生きにくい世の中は結局、多数者にとっても開かれた社会にならないというのが私たちの基本的な認識です。当事者主権の市民社会を形成していくのが、私たちの重大な課題と思っています。受賞を励みに、さらに努力したいと考えています。
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■「共に生きる」 JHP・学校をつくる会代表理事 小山内美江子さん
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| JHP・学校をつくる会代表理事 小山内美江子さん |
今日は素晴らしい賞を頂きました。喜びでいっぱいです。
私は「3年B組金八先生」というドラマの脚本を書いていました。始まったのが79年です。カンボジアをそれまで治めていたポル・ポト政権がとんでもないことをしており、79年にポル・ポトが追い出された時、一般のカンボジア国民もタイに向かって逃げたんです。そこに国連が入り、タイ国境に難民キャンプができました。そのニュースが日本に流れてきました。私もこれは大変だと思い、ドラマの中で「受験一本やりでなく、世界のことを理解する必要があるのではないか」という場面を書きました。
以来、いつかカンボジアに行こうと思っていましたが、90年に先に中東に行きました。90年は日本にも私にとっても揺れた年でした。イラクがクウェートに侵攻し、サウジアラビアがアメリカに助けを求めます。アメリカがいろんな国に声をかけ、兵隊がいろんな国から来て、サウジに陣を敷きます。これが湾岸危機です。先進国で兵隊を出さなかったのはドイツと日本だけでした。
この年に母が91歳で亡くなりました。ものすごく悲しかったけれど、子育てと介護が終わり、解放されたという気持ちも、心の隅にありました。大河ドラマ「翔ぶが如く」の仕事も終わり、私は60歳でした。これからどう生きていくのか。まじめに考え、今までやらなかったことをやってみようと思いました。自分の時間、自分のお金を自分のために使おうと思ったのが、恥ずかしいですが、素晴らしい賞をもらう元になりました。
日本は兵隊を出せないのでお金を出した。なのに「日本は金だけ出して血も汗も流さない」と批判を受けた。憲法で「戦争をしない」と世界に約束したことを守り、その上お金を出しているのに、批判される筋合いはないと私は思います。
難民キャンプで世話をした日本人の記事を読んだのをきっかけに90年、息子たちとヨルダンに渡りました。その後、91年の夏休みには学生たちと一緒に、イラン側に逃げたクルド人の救援に行きました。夏で暑いのに、女性は手の先と顔しか素肌を出してはいけない。水道からは茶色の水が出る。ミネラルウオーターが届くまでは、やかんで煮沸します。そんな状況で、女子学生が「日本っていい国だったんですね」と言いました。おしゃれが当たり前と思って育った若い人が異文化と出合うわけです。
91年秋のカンボジア和平調印の後、92年に学生を連れて行きました。難民が列車でカンボジアに帰って来るのですが、プラットホームでないところに止まるから、子供やおばあさんが降りられないんです。それをオレンジ色のTシャツを着た学生たちが迎えます。20年も自分の国から離れていて、不安でいっぱいでしょう。でも、その人たちは「列車が着くと、オレンジ色のTシャツの若者たちがいる。安心してその人たちに手や荷物を委ねなさい」と言われていたと、後で知りました。
できることからやりましょうというのが私たちの考えです。ボランティアって、まなじりを決してやらなくてもいい。楽しんで、お互い良かったね、という言葉を大事にしながらやっていけばいいと思います。私たちは、教師の8割が虐殺された国にとって教育は大切なんだという思いで頑張っています。
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◆選考委員長報告--佐々木高明さん(国立民族学博物館名誉教授)
◇タイをはじめ国内外で保健医療支援--シェア
◇カンボジアなどで教育施設再建--小山内さん
第20回の節目を迎えた今年の毎日国際交流賞は、国内外から団体81件、個人31件の計112件の推薦がありました。事務局の1次選考で団体7件、個人5件に絞り、選考委員会の慎重な審議で受賞者を決定しました。
「シェア=国際保健協力市民の会」は1983年に結成された保健医療専門の国際協力NGOです。HIV感染者が100万人以上といわれるタイで、エイズ予防教育や感染者の支援活動を展開しています。カンボジアの農村で母子への保健教育や保健スタッフの養成を手がけ、東ティモールでは保健教育促進プロジェクトに取り組み、南アフリカではHIV陽性者のサポートを進めています。
日本国内でも在日外国人のための医療活動に取り組んでいます。国内外どちらかに偏らずバランスが取れた活動を、四半世紀にわたり続けています。
小山内美江子さんは脚本家として著名ですが、内戦の激化でカンボジア難民が流出した79年ごろ国際協力へ関心を持ちました。「いつかはカンボジアに」との思いを抱き、90年秋、イラクがクウェートを侵攻した湾岸危機の際、ヨルダンの難民キャンプでボランティア活動をしました。
ポル・ポト政権下で破壊されたカンボジアの教育施設を再建するため、93年にJHPを設立し、これまでに手掛けた校舎は200棟を超えます。音楽、美術などの情操教育も進め、活動はラオス、インド、アフリカ諸国にも広がっています。国際協力を支える若者の育成にも積極的です。
最近の世界情勢を見ると、超大国を中心とする大きな力が、弱く小さな人たちを抑圧することが少なくありません。毎日国際交流賞はアジア、アフリカをはじめとする小さく弱い立場の人に、草の根レベルで援助の手を差し伸べ、心と心の交流を長年実践してきた人を表彰してきました。ささやかな賞ですが、弱い人たちの立場に立ち、心の交流を進めてきた意義は小さくありません。今後ともご援助をお願いします。
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【記念シンポジウム】
■草の根国際交流の役割と今後の課題
◇「ファミリー」と呼ばれる関係を--AMDAグループ代表 菅波茂さん
◇互いに育っていくことが大切--NGOアフリカ友の会代表 徳永瑞子さん
◇基本は地元の価値観の尊重--日本国際ボランティアセンター理事 熊岡路矢さん
◇需要に合った協力が信頼生む--カレーズの会理事長 レシャード・カレッドさん
記念シンポジウムは、過去の毎日国際交流賞受賞者で、選考委員でもある熊岡路矢さん(61)=日本国際ボランティアセンター(JVC)理事、第4回団体受賞=をコーディネーターに、▽菅波茂さん(61)=AMDAグループ代表、第7回団体受賞▽徳永瑞子さん(60)=NGOアフリカ友の会代表、第14回個人受賞▽レシャード・カレッドさん(58)=カレーズの会理事長、第8回個人受賞=が、紛争地などでの安全管理や、国際協力活動の課題などについて意見を交わした。当初参加を予定していたペシャワール会現地代表、中村哲さんは、スタッフの伊藤和也さんが派遣先のアフガニスタンで誘拐・殺害された事件の影響で欠席した。
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| 「草の根国際交流の役割と今後の課題」をテーマに行われた記念シンポジウム=大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールで |
熊岡 NGOスタッフの安全確保をどう図っていますか。
菅波 25年の活動で死傷者は一人も出ていない。(1)運の強い人を送る(2)相手から人質を取る(3)相手の血縁共同体社会のおきてをよく研究する、の三つが理由だ。04年12月のスマトラ沖地震の際、AMDAは紛争地帯の被災地2カ所にも入った。スリランカ北東部の反政府組織「タミールの虎」が支配する地域では以前から、攻撃を受けないよう虎の本部の隣に事務所を置き、虎の組織の人間に事務所に入ってもらっていた。これが「人質」。現地組織の幹部同士の血のつながりを安全のために使うことも必要だ。また運の強い人は、派遣を頼むとすぐに「行く」と言う。いろいろ質問する人は何か(悪い予感を)感じているということなので行かせない。この3点で危機管理をしてきた。
徳永 安全と言われていた中央アフリカで93年に活動を始めたとたん、部族紛争が頻発した。03年3月のクーデター時は日本に待機していたが、何もかも略奪されたと聞いた。今は日本に拠点を置き、年に2、3回、現地に行くが、何か起きた時は受け入れる覚悟を持たないといけない、と肝に銘じている。アフリカは広く、移動手段が飛行機しかない。この1、2年、コンゴ民主共和国での人道支援中、事故で四十数人が死亡した。現地で交通事故に遭うと、ほとんど助からない。そういうことを受け入れることが必要と思う。
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| カレーズの会理事長 レシャード・カレッドさん |
ペシャワール会の伊藤さんは初めカレーズの会に所属していた。献身的に働いていた彼を「兄弟としてまつりたい」と、村人が現地に墓を建てることになり、ご家族が遺骨の一部を分けた。伊藤さんのお母さんは死亡確認の日、私に「和也はアフガンの子どもたちに新鮮な野菜を食べさせたいと思って行った。お願いだから活動をやめないで。彼の思いを続けてやってください」と言われた。伊藤さんも家族も信念を持っていた。ただ、いくら相手に信頼されても、事故の危険は免れない。遠隔操作というか、現地の優秀な人を使って技術移転などを進めるシステムを作る必要がある。
熊岡 協力の基本は、地元の人々の文化や誇りを傷つけないこと。援助する側の価値観で進め、人間関係が壊れることはよくある。安全にも跳ね返ってくる。
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| NGOアフリカ友の会代表 徳永瑞子さん |
熊岡 今、NGOが抱える課題は。
菅波 日本のNGOが分かっていないのは、日本の教育と、国境を越えた世界は全く別ということ。世界は差別だらけだ。その差別が何を基準にしているか、よく知る必要がある。国連など国際機関にも「メンバーシップ」という差別があり、大きな壁になっている。そのことを踏まえる必要がある。
徳永 治安の問題で03年に帰国した時、現地の人に仕事を全部任せたが、私よりもっとうまくやっていた。帰国が彼らにチャンスを与えた。途上国というと、指導しなければと気負うことがあるが、そうじゃない。民間団体は永遠に居られないので、現地の人たちに自立してもらわなければいけない。私は日本でNGOを育てるなどの仕事をし、交流しながら互いに育っていく。それが国際交流で一番いいことと思う。
レシャード 援助は永遠ではない。最終的に相手が自立しないと、どうにもならない。協力の目的と時間の目標を明確にする必要がある。彼らの能力や思いを生かし、技術移転をきちんとして自分でやっていけるようにするためには、互いの信頼が必要だ。
熊岡 国際協力で難しいのは、援助を受ける側だけでなく、援助する側も、その行為に自己満足することがある点。お互いに自立する必要がある。
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| AMDAグループ代表 菅波茂さん |
熊岡 国外と国内の活動をどう両立させていますか。
菅波 今後、外国の人が日本にたくさん来て、内なる国際化が進む。海外の習慣や社会規範が持ち込まれた時、摩擦が起きる。AMDAの国際医療情報センターは在日外国人の健康医療相談を受けているが、健康や病気に関する習慣などのデータを蓄積すると、役に立つと思う。マラリアなどの熱帯風土病が日本に持ち込まれた時、臨床医は経験がないと難しいので、シンガポールなどで実際に治療させている。いずれはそういう状況になると考えて活動している。
徳永 学生をアフリカに連れて行く際、三つのことを言う。(1)毎日シャワーを浴びられると思う人はだめ(2)毎日メールをしたい人もだめ(3)何でも食べられる人。この3条件をクリアできるなら、と呼びかけると、みんな参加する。水不足や停電、メールをできない環境にも適応している。今の若い人たちに非常に可能性を感じている。
レシャード 学生たちに、日本の当たり前の文化だった「もったいない」の精神がなくなっている。学校でよく講演をするが、国際社会の実情とともに、日本も50~60年前のこんな時代を乗り越えてきた、今の高齢者の努力のおかげでぜいたくができる、と話す。今の生活の中で世界の状態を把握し、世の中にはこんな生活もあると知ること、そして自分に何ができるか考えることが重要だ。
熊岡 菅波さんからも若い人へメッセージを。
菅波 海外へ出ると、日本以外はすべて血縁共同体社会と思ってほしい。彼らにとっては、血のつながった身内、友人、赤の他人の3種類しかない。キーワードは「ファミリー」。相手に「あなたとファミリーのように付き合いたい」と言わせれば間違いない。ぜひ「ファミリー」と呼んでもらえる人間関係をつくってほしい。
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| 日本国際ボランティアセンター理事 熊岡路矢さん |
■人物略歴
◇すがなみ・しげる
広島県生まれ。77年、岡山大大学院医学研究科修了。84年、カンボジア難民キャンプで活動した医師らとAMDA設立。「救える命があればどこへでも」をモットーに、世界各地で地域保健医療活動や自然災害の緊急医療活動を推進。30カ国に支部、プロジェクト実施は50カ国に上る。
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■人物略歴
◇とくなが・みずこ
福岡県生まれ。看護師、助産師。九州大医学部付属助産婦学校卒業後、71年、旧ザイール(現コンゴ民主共和国)の診療所勤務。93年、中央アフリカの首都バンギを拠点に会を設立、HIV感染防止に取り組む。03年のクーデター後は日本に拠点を置く。聖母大国際看護学教授。
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■人物略歴
◇くまおか・みちや
東京都生まれ。80年、タイでJVC創設に参加、インドシナ難民救援にあたる。カンボジア、ベトナムなどの農村開発、アフガニスタン、パレスチナなど紛争地での人道支援にも携わる。現在、東京大大学院客員教授、国連難民高等弁務官駐日事務所アドバイザー。
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■人物略歴
◇レシャード・カレッド
アフガニスタン生まれ。76年、京都大医学部卒業後、日本の病院に勤務。旧ソ連のアフガン侵攻で帰国を断念し、日本国籍を取得。診療の傍らパキスタン、アフガンなどの難民キャンプで医療奉仕活動を推進。93年、静岡県島田市で医院開業。過疎・無医地区で健康相談も続ける。
(2008年10月21日毎日新聞大阪朝刊)











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