市民レベルの国際交流・協力活動を顕彰する「第21回毎日国際交流賞」(毎日新聞社主催、外務省後援、クボタ協賛)の受賞記念講演会が今月10日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールであった。受賞した認定NPO法人「難民支援協会」(東京都新宿区)の代表理事、中村義幸さんが「日本での難民支援10年の歩み」、「教育と環境の『爽(さわやか)』企画室」代表の片桐和子さん(72)、昭吾さん(73)夫妻=新潟市西区=が「思い続ければ夢はかなう」と題し、それぞれ講演した。
中村さんは、日本の難民受け入れの現状を説明したうえで、難民認定を求める外国人に対して法律面や生活面から支援してきた協会の設立から10年間の歩みを報告。片桐さん夫妻は、定年後に訪れたインドで路上生活の子どもたちに出会った衝撃から、子どもたちのための施設建設に奔走し始めた活動について、ユーモアを交えながら紹介した。【構成・高野聡/写真・貝塚太一】
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【受賞記念講演】
■多文化共生へ手を携え 政策提言とネット作り進める――難民支援協会代表理事・中村義幸さん
◆「日本での難民支援10年の歩み」
今年は難民支援協会設立10周年の記念すべき年です。今回の受賞は、実績というよりも、今後、難民申請者が激増する可能性がある中で支援のスキーム(仕組み)を作って拡充するようにしなさい、という激励の意味であると考えています。
戦後の日本の難民保護の歴史を振り返りますと、2期に分けられると思います。第1期(の始まり)は昭和26(1951)年に制定された出入国管理令という名称の法律です。この時に難民条約に加盟もしていなければ、難民認定制度も国内法制としては存在しませんでした。入管令50条に在留特別許可制度というのがあり、この条文を基に難民を保護してきました。
昭和50年代、インドシナ三国からのベトナム難民の受け入れ問題が出てきます。日本はこの時、難民条約には加盟していませんでしたが、国際協調の名目の下で、条約外で1万人を超えるインドシナ三国からの難民を受け入れました。この制度の長所は、日本で政府が初めて目に見える形で難民を受け入れたということ、難民受け入れの制度を整備しようという機運が高まった点です。短所はこういうスキームがあるから、条約に基づく難民認定は促進されなかった点です。ベトナム難民を受け入れているので、条約難民の受け入れは厳しくしてもいい、と二面性を持ってしまったのではないかと私は見ています。
第2期は昭和56(1981)年に難民条約に加盟し、翌57年に議定書に加盟したことに伴う国内法の改正です。これで難民認定制度が発足しましたが、いろんな問題をはらんでいました。
条約は国内でどのような受け入れ制度を設けるかについて、義務付け(られた規定)はありません。法務省の入国管理という行政とは別に難民認定制度を設けることも可能です。日本の場合、外国人の出入国にかかわる行政だということで、「入国管理局が実務上所管し、決定権限は法務大臣が持つ」と閣議了解して、制度ができました。
こうした中で難民支援協会は平成11(1999)年7月、東京・新宿で設立総会を開きました。初代代表理事は法政大名誉教授の鴨澤巌先生です。75歳でした。鴨澤先生はアムネスティ・インターナショナル日本支部の運営委員でした。最初のスタッフは、代表1人、事務局長1人。いかに協力者を集めるかが代表の仕事でした。
事務所は、相談に来る人の足の便がいい所ということで東京・神楽坂のビルに決まりました。取り壊されるビルで、家賃がいらないのですが、雨漏りがしました。その次は、東京・四谷です。理解のある大家さんでしたが、ビルにはエレベーターがないんですね。雨漏りのしないエレベーターのあるビルに入りたいというのが協会の悲願でした。今年5月、同じ大家さんのビルに入りましたが、雨漏りはします。
協会は、支援事業部、渉外部、広報・マーケティング部、管理部の4部制を敷いて、専門性を高めていこうとしています。来年度から第三国定住者を受け入れる計画が始まります。30人を3年間、計90人の難民を受け入れるわけです。難民がすぐ隣で生活する日も遠くないわけですから、多文化共生の施策が必要になると思います。
またこれまで東京入管で出ていた難民認定申請も、大阪入管など地方でも申請者が出るようになっています。この人たちの支援をどうするか。人員、資金の点で協会が支援するのは難しいのでそれぞれの地域の人とのネットワークを作りたい。さらに難民が自立するための施策の充実が必要です。研究、調査を充実して、より良い難民支援制度を政策として提言していくというのが、難民支援協会の特徴です。今回の受賞を機に、するべき仕事を考えて、充実した支援活動を続けていきたいと思っています。
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■子どもたちに未来贈る 逆転の発想で咲かせて尽くす――教育と環境の「爽」企画室代表・片桐和子さん、昭吾さん
◆「思い続ければ夢はかなう」
昭吾さん 私たち夫婦は、11年前の98年12月末、定年まで働いてきたご褒美にインドのスタディーツアーに参加しました。ベンガル湾沿いの、とある駅に降り立った時、ストリートチルドレンと出会いました。歩いている時に何か柔らかいものにぶつかった感じがしたんです。月明かりに透かして見ると、15、16個の塊がありました。それがストリートチルドレンでした。恨めしそうな目が脳裏から離れません。無限の未来のある将来の入り口さえ閉ざされる現実。こんなことが許されていいのかと思いました。見てしまった以上、人間としてこの子たちを救うのが当然だと思います。
私たちは、40年以上日本の復興のために休みなく働いてきました。「働く」とはどういう意味があるでしょう。はたの人のために楽をさせる、というのが働く意味なんです。まずは両親、その後は女房、子どもを楽にするために働くのです。私たちは今インドのストリートチルドレンのために働いています。
インドの原野を確保して、「子どもの憩いの村」を作って安心して眠れるようにする。識字教育をして、職業訓練して自立させて送り出す。こうした遠大な夢に向かってスタートしたのが03年でした。2人で無謀とも言える計画を始めたのですが、私財がたった1年で底をつきました。新潟県内の企業に寄付を(してほしいと)訴えましたが、断られました。友人、知人に頭を下げても拒否されました。そこでマスコミを通じて訴えたら、14人の方が激励の手紙とお金をくれたんです。その時は涙、涙でした。その14人の方の貴いお金を基に再起して今日までやってきました。
なぜできたのか。その秘訣(ひけつ)は、逆転の発想をすることです。できないと言わずに「できる」とプラス思考で考える。私は73歳ですが、ひっくり返せば「37歳」です。365日、「27歳」の彼女から夢を聞かされれば、その気になります。では「27歳」の妻の、夢のある話を聞いてください。
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和子さん 支援をするにあたって大切なのは現地のパートナーです。パートナーに巡り合うことで事業が進みました。NGO「ニューホープ」の代表、ローズさんという男性です。この方とやり取りすることで、大きな事業をやり遂げることができました。英語もパソコンも初めて習いました。「65の手習い」です。
「憩いの村」の敷地は3万6000平方メートル。甲子園球場とほぼ同じです。初めはホームを造りました。井戸と台所も造りました。大食堂は、草ぶきの屋根にしました。200人規模です。職業訓練所は、多額の寄付のおかげで2棟できました。自転車の修理やサンダル製造などを学びます。瞑想(めいそう)センターは2年目に造りました。心がすさんでいる子どもたちを休ませるには癒やしの場が必要だということでできた施設です。子どもたちはここで朝夕祈りをささげます。
農園、バラ園、診療所。図書館も造りました。「こういうのが勉強なんだよ」と伝えたかった。机があって、たくさんの本が並んでいて......。そんな教室がたくさんできるといいなと考えていたら、新たな寄付が受けられることになり、学校が建設されることになりました。学校のトイレには衛生教育の一環として水洗トイレを導入したいと思います。計画にはフューチャー(未来)があります。2階建てにして、寄宿舎を造りたいんです。
昭吾さん 今や人生100年と言ってもいい時代です。定年後に、かつての夢を咲かせることが可能になりました。60歳代で青春時代の夢を実現して、70歳代には人に尽くす。こんな過ごし方をしようではありませんか。
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◆選考委員長報告――湯下博之さん(元駐フィリピン大使)
毎日国際交流賞は今年で第21回となり、過去最多の自薦・他薦合わせ団体102、個人28の計130件の応募がありました。選考は事務局が第1次選考をし、団体6件、個人4件の計10件の候補に絞り、その10件を選考委員会で審議しました。
◇多角的に「内なる国際化」
難民支援協会は99年から活動し、10年を迎える団体です。日本では難民認定制度が82年に新設され、昨年は過去最高の1599人の難民認定申請がありました。しかしこうした難民問題に社会が対応できていないという批判があります。そんな中、難民支援協会は、難民認定申請者の個別支援に精力的に取り組んできました。国内で難民支援活動を多方面に展開し、成果を上げているところがユニークで「内なる国際化」といえるのではないか、と注目を集めました。
◇規範となる「第二の人生」
片桐和子さん・昭吾さんはインドのストリートチルドレン支援に退職後の生活をささげている新潟市の元教員と元国鉄マンのご夫妻です。現地のNGOと協力して自立支援施設を建設する事業に乗り出しました。資金確保のため、昭吾さんは警備会社に再就職、和子さんはチャリティーバザーやコンサート開催に奔走しています。片桐さん夫妻の取り組みは、団塊の世代の大量退職の時代に一つのモデルケースとしてとらえられるのではないか、と高い評価を得ました。
(2009年10月29日毎日新聞朝刊)
中村さんは、日本の難民受け入れの現状を説明したうえで、難民認定を求める外国人に対して法律面や生活面から支援してきた協会の設立から10年間の歩みを報告。片桐さん夫妻は、定年後に訪れたインドで路上生活の子どもたちに出会った衝撃から、子どもたちのための施設建設に奔走し始めた活動について、ユーモアを交えながら紹介した。【構成・高野聡/写真・貝塚太一】
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【受賞記念講演】
■多文化共生へ手を携え 政策提言とネット作り進める――難民支援協会代表理事・中村義幸さん
難民支援協会代表理事・中村義幸さん
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今年は難民支援協会設立10周年の記念すべき年です。今回の受賞は、実績というよりも、今後、難民申請者が激増する可能性がある中で支援のスキーム(仕組み)を作って拡充するようにしなさい、という激励の意味であると考えています。
戦後の日本の難民保護の歴史を振り返りますと、2期に分けられると思います。第1期(の始まり)は昭和26(1951)年に制定された出入国管理令という名称の法律です。この時に難民条約に加盟もしていなければ、難民認定制度も国内法制としては存在しませんでした。入管令50条に在留特別許可制度というのがあり、この条文を基に難民を保護してきました。
昭和50年代、インドシナ三国からのベトナム難民の受け入れ問題が出てきます。日本はこの時、難民条約には加盟していませんでしたが、国際協調の名目の下で、条約外で1万人を超えるインドシナ三国からの難民を受け入れました。この制度の長所は、日本で政府が初めて目に見える形で難民を受け入れたということ、難民受け入れの制度を整備しようという機運が高まった点です。短所はこういうスキームがあるから、条約に基づく難民認定は促進されなかった点です。ベトナム難民を受け入れているので、条約難民の受け入れは厳しくしてもいい、と二面性を持ってしまったのではないかと私は見ています。
第2期は昭和56(1981)年に難民条約に加盟し、翌57年に議定書に加盟したことに伴う国内法の改正です。これで難民認定制度が発足しましたが、いろんな問題をはらんでいました。
条約は国内でどのような受け入れ制度を設けるかについて、義務付け(られた規定)はありません。法務省の入国管理という行政とは別に難民認定制度を設けることも可能です。日本の場合、外国人の出入国にかかわる行政だということで、「入国管理局が実務上所管し、決定権限は法務大臣が持つ」と閣議了解して、制度ができました。
こうした中で難民支援協会は平成11(1999)年7月、東京・新宿で設立総会を開きました。初代代表理事は法政大名誉教授の鴨澤巌先生です。75歳でした。鴨澤先生はアムネスティ・インターナショナル日本支部の運営委員でした。最初のスタッフは、代表1人、事務局長1人。いかに協力者を集めるかが代表の仕事でした。
事務所は、相談に来る人の足の便がいい所ということで東京・神楽坂のビルに決まりました。取り壊されるビルで、家賃がいらないのですが、雨漏りがしました。その次は、東京・四谷です。理解のある大家さんでしたが、ビルにはエレベーターがないんですね。雨漏りのしないエレベーターのあるビルに入りたいというのが協会の悲願でした。今年5月、同じ大家さんのビルに入りましたが、雨漏りはします。
協会は、支援事業部、渉外部、広報・マーケティング部、管理部の4部制を敷いて、専門性を高めていこうとしています。来年度から第三国定住者を受け入れる計画が始まります。30人を3年間、計90人の難民を受け入れるわけです。難民がすぐ隣で生活する日も遠くないわけですから、多文化共生の施策が必要になると思います。
またこれまで東京入管で出ていた難民認定申請も、大阪入管など地方でも申請者が出るようになっています。この人たちの支援をどうするか。人員、資金の点で協会が支援するのは難しいのでそれぞれの地域の人とのネットワークを作りたい。さらに難民が自立するための施策の充実が必要です。研究、調査を充実して、より良い難民支援制度を政策として提言していくというのが、難民支援協会の特徴です。今回の受賞を機に、するべき仕事を考えて、充実した支援活動を続けていきたいと思っています。
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■子どもたちに未来贈る 逆転の発想で咲かせて尽くす――教育と環境の「爽」企画室代表・片桐和子さん、昭吾さん
教育と環境の「爽」企画室代表・片桐和子さん |
昭吾さん 私たち夫婦は、11年前の98年12月末、定年まで働いてきたご褒美にインドのスタディーツアーに参加しました。ベンガル湾沿いの、とある駅に降り立った時、ストリートチルドレンと出会いました。歩いている時に何か柔らかいものにぶつかった感じがしたんです。月明かりに透かして見ると、15、16個の塊がありました。それがストリートチルドレンでした。恨めしそうな目が脳裏から離れません。無限の未来のある将来の入り口さえ閉ざされる現実。こんなことが許されていいのかと思いました。見てしまった以上、人間としてこの子たちを救うのが当然だと思います。
私たちは、40年以上日本の復興のために休みなく働いてきました。「働く」とはどういう意味があるでしょう。はたの人のために楽をさせる、というのが働く意味なんです。まずは両親、その後は女房、子どもを楽にするために働くのです。私たちは今インドのストリートチルドレンのために働いています。
インドの原野を確保して、「子どもの憩いの村」を作って安心して眠れるようにする。識字教育をして、職業訓練して自立させて送り出す。こうした遠大な夢に向かってスタートしたのが03年でした。2人で無謀とも言える計画を始めたのですが、私財がたった1年で底をつきました。新潟県内の企業に寄付を(してほしいと)訴えましたが、断られました。友人、知人に頭を下げても拒否されました。そこでマスコミを通じて訴えたら、14人の方が激励の手紙とお金をくれたんです。その時は涙、涙でした。その14人の方の貴いお金を基に再起して今日までやってきました。
なぜできたのか。その秘訣(ひけつ)は、逆転の発想をすることです。できないと言わずに「できる」とプラス思考で考える。私は73歳ですが、ひっくり返せば「37歳」です。365日、「27歳」の彼女から夢を聞かされれば、その気になります。では「27歳」の妻の、夢のある話を聞いてください。
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教育と環境の「爽」企画室代表・片桐昭吾さん |
「憩いの村」の敷地は3万6000平方メートル。甲子園球場とほぼ同じです。初めはホームを造りました。井戸と台所も造りました。大食堂は、草ぶきの屋根にしました。200人規模です。職業訓練所は、多額の寄付のおかげで2棟できました。自転車の修理やサンダル製造などを学びます。瞑想(めいそう)センターは2年目に造りました。心がすさんでいる子どもたちを休ませるには癒やしの場が必要だということでできた施設です。子どもたちはここで朝夕祈りをささげます。
農園、バラ園、診療所。図書館も造りました。「こういうのが勉強なんだよ」と伝えたかった。机があって、たくさんの本が並んでいて......。そんな教室がたくさんできるといいなと考えていたら、新たな寄付が受けられることになり、学校が建設されることになりました。学校のトイレには衛生教育の一環として水洗トイレを導入したいと思います。計画にはフューチャー(未来)があります。2階建てにして、寄宿舎を造りたいんです。
昭吾さん 今や人生100年と言ってもいい時代です。定年後に、かつての夢を咲かせることが可能になりました。60歳代で青春時代の夢を実現して、70歳代には人に尽くす。こんな過ごし方をしようではありませんか。
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◆選考委員長報告――湯下博之さん(元駐フィリピン大使)
毎日国際交流賞は今年で第21回となり、過去最多の自薦・他薦合わせ団体102、個人28の計130件の応募がありました。選考は事務局が第1次選考をし、団体6件、個人4件の計10件の候補に絞り、その10件を選考委員会で審議しました。
◇多角的に「内なる国際化」
難民支援協会は99年から活動し、10年を迎える団体です。日本では難民認定制度が82年に新設され、昨年は過去最高の1599人の難民認定申請がありました。しかしこうした難民問題に社会が対応できていないという批判があります。そんな中、難民支援協会は、難民認定申請者の個別支援に精力的に取り組んできました。国内で難民支援活動を多方面に展開し、成果を上げているところがユニークで「内なる国際化」といえるのではないか、と注目を集めました。
◇規範となる「第二の人生」
片桐和子さん・昭吾さんはインドのストリートチルドレン支援に退職後の生活をささげている新潟市の元教員と元国鉄マンのご夫妻です。現地のNGOと協力して自立支援施設を建設する事業に乗り出しました。資金確保のため、昭吾さんは警備会社に再就職、和子さんはチャリティーバザーやコンサート開催に奔走しています。片桐さん夫妻の取り組みは、団塊の世代の大量退職の時代に一つのモデルケースとしてとらえられるのではないか、と高い評価を得ました。
(2009年10月29日毎日新聞朝刊)



難民支援協会代表理事・中村義幸さん
教育と環境の「爽」企画室代表・片桐和子さん
教育と環境の「爽」企画室代表・片桐昭吾さん
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