第44回毎日農業記録賞《一般部門》最優秀賞・中央審査委員長賞


トキと共に持続可能な農業へ

新潟県佐渡市 斎藤 真一郎さん(55)

学名「ニッポニア・ニッポン」という国の名前を持つ、美しくも悲哀の歴史を持つ鳥、トキ。2016(平成28)年6月1日、佐渡島の野生下で生まれ育ったトキのつがいから生まれたひな2羽が巣立ちました。「純野生」ひなの巣立ちは1974年以来42年ぶりのことで、佐渡島はほのぼのとした幸せに包まれました。

日本産トキが絶滅したのは、明治に入り狩猟解禁により20年間乱獲されたことが最大の要因とされています。そして昭和30年代に出現した農薬による、餌となる生きものたちの汚染、大量死、それを食べたトキの中毒死や、農業の近代化への圃場整備による、生きものたちの生息環境の悪化による餌不足と、最後は農業がトキを追い詰めていきました。

今でこそ佐渡島には200羽を超えるトキが生息し、日常的に佐渡の空を舞うトキを見ることができますが、ここまでこれたのはトキ保護に関わった多くの関係者の努力と島民のあたたかい見守りがあったからです。

佐渡島の旧新穂村の農家に生まれた私は、96年に14年間勤めた農協を退職し就農しました。農協在職中は、農薬と化学肥料を使いこなしながら生産性を上げる農業の視点しか持ち合わせていませんでしたので、就農直後も収量を高めたい、農薬も新商品を追いかけて虫も病気も絶対出さないことが農家として経営を成り立たせることだと思い、農作業を行っていました。今思うと自己中心的で経済的価値のみを追い求めていたようです。この頃はまだ「環境」という文字が農業の中では浸透していない時代であり、そんな私に環境や自然、生命を意識させてくれたのがトキでした。

現在、水稲25ヘクタール、果樹(おけさ柿、リンゴ、桃、ネクタリン、ブドウ)3・2ヘクタール、ハウスイチゴ0・3ヘクタールにイチゴの観光農園とフルーツカフェをオープンし、環境に配慮し交流を楽しめる農業を心がけています。

99年、中国から贈られた2 羽のトキからヒナが誕生しました。2000年秋、トキの野生復帰計画を聞きつけたNPO法人「メダカのがっこう」から旧新穂村に、生きもの豊かな田んぼ作りの提案がありました。賛同した当時の本間権一村長から「必ずトキは佐渡の空に帰ってくる!今からその準備をしなければならないので農家の方々も協力してほしい」と提案があり、旧新穂村、旧両津市の農家7名が集まり、「佐渡トキの田んぼを守る会」が結成されました。私も「トキが佐渡の空を幸せ色に染めて優雅に舞う姿が見たい!」と思い、参加を決めました。

栽培方法は、当時注目されていた不耕起栽培に加え、農薬や化学肥料を使わず、生きものと稲の生育を関連付ける、生きもの調査を行うこと。そして行政は所得補償を用意しました。当時の私は、初めて聞く「不耕起栽培」に興味津々で、早く春になるのが待ち遠しくてしょうがなかったです。
会の活動は、①トキの餌場としての田んぼを有効活用する②環境保全型農業の実践と普及③消費者との交流④食農教育の実践――が柱で、楽しく、そして大いに酒を飲みながら取り組んできたのです。

1年目は最初から無農薬は無理だと言われ、除草剤1回だけの減農薬でスタートし、まずまずの収量。2年目はいよいよ無農薬栽培に取り組み、年4回の生きもの調査の実施と難度を上げていきました。

しかし、除草剤無しの米作りは大変でした。田植え後、日ごとに増える雑草、秋には稲か雑草かわからない田んぼ、その雑草がコンバインの行く手を阻む、興味ありげに見に来る近所の農家さんたち、用事を足すように逃げだす私。コンバインで刈れない稲を、近所のおばちゃん達に頭を下げ、手刈りのお願い。「何でこんなことしてるんだ!」と半泣きになりながら自分に問いかけること度々。終わってみれば反収3俵と散々な結果でした。

生きもの調査では、1回の調査ごとに1日かけて仲間の田んぼで調査にみんなで回り、田んぼに虫取り網を振り回し、畦道に座り込んで観察する光景は当時、異様だったのでしょう。「生きもの調査をやって何になる」「生きもの調査はお金になるのか?」など、直に言わないまでも、取り組む農家は「変人」に見えていたんだと思います。

この頃、佐渡米は魚沼米に次いで日本で2番目に高値で売れる時代でした。無農薬と慣行栽培の単価は数千円の差しかなく、低い収量からみると経済的にはやらないほうがいい。物珍しく視察に来る方から発せられた、「そんな面倒なことをしなくても、佐渡米は高く売れるんだ」という言葉に、腹が立ったこともありました。しかし、この言葉と田んぼに増える生きものの姿が、「守る会」が頑張ってこられたエネルギーだったかもしれません。

04年、平成の大合併により1市7町2村が佐渡市として生まれ変わりました。トキが旧新穂村の鳥ではなく、佐渡の鳥となり、全島で関心を持つことができるようになったことは、合併の大きなメリットの一つです。

この年、佐渡の農業に大きな災難が降り注ぎました。お盆を過ぎた頃、フェーン現象を伴った台風が来たのです。雨が降らなかったことで出穂直後の稲穂が脱水症状により白穂となり、壊滅的被害が出ました。当然売れる米は無く、店頭から佐渡米は消え、その後2年にわたり佐渡米は極度の販売不振に陥りました。販売不振から売れない米の産地は生産調整が拡大していくことになります。これはトキの餌場としての湿地が少なくなるということでもありますので、野生復帰にも大きな障害になります。

農協の米販売においては、トキというシンボリックな鳥を販売に使うことを控えていました。当時私たちの会だけが「トキひかり」という名前で米を販売していましたが、トキという名前を使う以上、守る会だけが潤うことではいけないというのが会の方針でした。トキを使う以上、全島の取り組みにしたかったので、行政、農協と連携することを念頭に置きながら活動してきました。この台風による販売不振から抜け出すために、行政、農協、農家の三位一体の取り組みにより、「朱鷺と暮らす郷づくり推進協議会」が発足し、トキをシンボルとした佐渡独特の良質の米作りの取り組みが始まりました。

協議会と並行して試験放鳥を1年後に控えた07年、農業での一体感をどうしたら出せるのかと思いを巡らせ、コウノトリとの共生を目指す兵庫県豊岡市へ研修を計画しました。佐渡市、JA、新潟県、全農、農政局、NPO、農家、野鳥の会の皆さんで「佐渡朱鷺オールスターズ」として豊岡へ。中貝宗治市長はじめ豊岡市の皆さんには足を向けて寝られないくらいお世話になりました。この時、市長から言われた「佐渡にとってトキはなんなのかを考えなさい」の言葉がその後、呪文のように脳裏を駆け巡りました。豊岡市での環境経済戦略の現場を見て大いに力をもらい、その後の佐渡農業に与えた影響はとても大きなものでした。

人間関係がうまく物事を運ぶ。今振り返ると、野生復帰にあたり面白く熱い男たちが勢ぞろいしたもんだとつくづく思います。環境省自然保護官、農水省環境保全官、新潟県、土地改良区、佐渡市職員、そして農家の親父(おやじ) たち。好きなことを言い合い、酒を飲み、歌い、心を一つにしてトキ野生復帰の地ならしをしていきました。本当に順調に物事が運んでいった記憶しかありません。まさに朱鷺(時)の運です。

トキは佐渡に、農の哲学者や環境実践者ら多くの人々を送り込んでくれ、冬季に田に水を張る「ふゆみずたんぼ」や、田の一部を掘り下げる「江」が生きものを育んでいることを明らかにし、生きもの調査が農業の道しるべだと教えてくれました。農協も3割減農薬減化学肥料栽培を推進し、その後全島挙げての5割減栽培にレベルアップ、その集大成が08年に始まった佐渡市認証米「朱鷺と暮らす郷」です。当初は参加農家256戸で栽培面積427ヘクタールでしたが、現在は500戸を超え1200ヘクタールの取り組みとなり、佐渡米のけん引役となっています。

11年6月11日、先進国そして日本初の世界農業遺産に「トキと共生する佐渡の里山」が登録されました。朱鷺と暮らす生きものを育む農法や生物多様性の豊かさが世界に認められたのです。

この日の朝、初めて無農薬栽培やふゆみずたんぼに取り組んだ私の田んぼにトキが来ました。朱鷺の横には中鷺、その横には亜麻鷺、その隣は青鷺と整然と並んでいたのです。それまで見たことのない奇妙な風景でしたが、ふと「あ!今日は佐渡が世界農業遺産に認定される日だ」と気付きました。「まさかお前たちお祝いに来たのか?」私はそう呼びかけていました。鳥たちと心が通った時間でした。

佐渡は、生きものという切り口で「生物多様性農業」を展開していこうとしています。これは特別栽培、有機栽培も含めた幅広い取り組みであり、生きものを育み、地域風景を創造するという視点によるものであり、経済価値だけを追求する農業ではありません。環境と経済との両立を目指す、とても難しい農業です。

環境省は16年、東京オリンピック開催年にトキを佐渡に220羽定着させる目標を設定しました。この数字は、佐渡の自然環境のポテンシャルからしても受け入れできるものであり、目標値以上の育みをしていけるはずです。

今後農業もグローバル化、競争の時代に突入しますが、佐渡が目指す真逆の生物多様性農業が受け入れられるかはわかりません。佐渡の農業も高齢化による後継者不足、農産物の価格低迷による耕作放棄地の増加などの問題を多く抱えています。しかしトキがいることにより元気をもらい多くのことを学びました。

大きく分けると①田んぼはお米だけを作っているのではなく、多くの生きものたちも育んでいること②農業は人と人、人と生きもの、人と自然をつなぎ、命や絆を育む仕事であること③トキがいる風景は、佐渡のかけがえのない風景であるように、農業が営まれることでその地域らしい風景が生まれること――の3点です。

持続可能な農業が根付き、経済だけでない農業の価値を、トキを通して消費者や世界に発信していくのが佐渡の役割だと信じています。そして佐渡島で農業できる喜びと誇りを持って、私はこれからも農業に携わっていきたいと思います。

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