認知症110番

優しい嫁が疲れた!

 90歳の義母と同居しています。長男は他県に住んでいるので私たちが結婚と同時に暮らしています。義母はおとなしいのですが少し痴呆があります。目に見えるようなチグハグな行動はなく、近所の人たちも痴呆だとは思っていません。毎朝、準備しておいた着衣を着たり脱いだり、他人の歯ブラシを使ったり、食事後の箸やスプーンをそのまましまったり、何度も同じ事を聞いたり――、そのほかにも他人から見たらそのくらいは、と思われるようなことで一緒に暮らしているとたまらないくらいイライラします。私は、優しい嫁として見られているのですが、最近ではそう思われるのも疲れます。優しい言葉をかけようと思っているのですが、つい無口になったり、時には「いつまでこの状態が続くのかな」と思うことがあります。本当の自分は優しくないのかもと思ってしまうのですが。(福島県、次男の嫁、68歳)

【回答】「自分だからできた」と自分を少しほめてやろう

 何十年も同居してこられてさまざまなことがあったのでしょうね。毎日の生活を共にしていくことは並大抵ではありません。それを波風も立たない暮らしを長年続けてこられたからこそ、他者からも「優しい嫁」という評価があるのでしょうね。きっとあなたがさまざまな場面でこらえてきた結果なのだと思います。

 しかし、感情のある人間ですから、長期間それを続けていくことは至難の業です。他者からは何の問題もない高齢者と見られているのも外にいるからそう見えるのであって、健康でなんでもできる自立した人であっても、同じ屋根の下で暮らしを続けていくことは容易ではありません。たまには感情を出して自然体になることも必要です。そうすることでバランスが取れるのです。この辺で少し今までの自分を振り返って、自分に「よくやってきたな、ほかの人にはできないことを、自分だからできたんだ、この自分を少しほめてやろう、何かご褒美をあげよう」、そう思ってください。

 また、そう思うことで新たな自分が見えてきますよ。頑張ったり、耐えることばかりだと心だって風邪を引きますよ。体だってそうでしょう、ときには思い切って休憩しましょうよ。

 誰が見てもチグハグな行動がわかれば、大変だなと周囲も理解してくれますが、大変さが見えないから大変なのですよね。共に生活するからこそ感じるものなのです。あなたが、生活のさまざまな場面で配慮しているから、痴呆が進行せずに暮らせているのだと思います。その配慮していることも見えませんね。きっと一緒にいるあなたの夫も気づかずにいて、感謝の言葉もないのでは。一緒にいるとその足元は見えなくなってしまいますから、ご自身の今後に重ね合わせて、話題にすることもよいのではないでしょうか。

 優しい言葉をかけようとしながらも無口になったり、イライラする状態がいつまで続くのだろうと思うことは当然です。もっもっと自分の気持ちを自分の心の中で言ってみましょう、誰もいないところで声に出してもいいのではないでしょうか。そして、手を抜けることは手を抜いて、他者に頼めることは頼んで気楽になることも必要です。介護は気楽にすることが大切です。そうでないと重荷になってしまいます。体や心が疲れてくるようであれば、休憩が必要です。そこで優しい嫁になる必要はありません。誰だって疲れてくるのです。自分の人生は自分で楽しく過ごせるようにしましょう。だからと言って、お母様をないがしろにしてよいとか、ほうっておいてよいと言っているのではありません。できることをできるようにしていけばよいのです。無理をしないということです。

 誰もが平等に年を重ねていきます。自分の老いの姿を想像することはできないものですが、共に暮らしているお母様の姿は何らかの形で、あなたたちの老いの姿、生き方を考えるきっかけにもなっているのではないでしょうか。

 日々の介護は確かに苦労の多いものです。他人にはその苦労が理解されないものでもあると思います。介護してさまざまなことを体験したからこそ感じられることもたくさんあると思います。そのことがきっと自分たちの将来に役に立つことにつながるのではないでしょうか。

回答者 是枝祥子(これえださちこ)
大妻女子大学教授=介護福祉学