コラム「母を撮る」

「毎アル3」を作る意味

関口祐加 映画監督

 2014年7月19日、遂に「毎日がアルツハイマー2〜関口監督、イギリスへ行く編」が東京のポレポレ東中野で初日を迎えました。介護にまつわるゲスト・トークを毎週末に開き、3週間の上映期間中に何と延べ5000人ものお客さんが見に来てくださいました。また期間中に前作の「毎日がアルツハイマー」もアンコール上映され、お陰様で上映期間は9月まで延長。本当に感謝あるのみです!

 そんな中、すでに始まっている「毎アル3」の撮影のことは前号で報告させて頂きました。今回は「毎アル2」の時のように迷うことなく「毎アル3」を製作しようと思っています。特に「毎アル2」では描かなかったパーソン・センタード・ケアを母に適応させ、母の性格や歴史を掘り下げたい。そして、それを主軸にストーリーとして展開させたいと考えています。と言うのも、母の生きてきた歴史は昭和史そのものであり、母の怒りの根源もここにあると考えているためです。

 私が母に付けたあだ名は「月光仮面」ならず『激昂』仮面! 「月光仮面」は懐かしいテレビ番組で、1958年から59年まで放映されました。私には記憶がありませんが、それでもテーマソングの『♪どこの誰かは知らないけれど誰もがみんな知っている 月光仮面のおじさんは正義の味方よよい人よ♪』 は、何回も聞いたことがあります。

 正義の味方は突然やって来る。母の「激昂」も突然やって来る。母を理解するということは、母の「怒りの根源」を理解しないといけないということです。もっと言えば、母の怒りの深層心理を深く掘り下げてみないと、本当に母を理解したことにはならない。

 今の母が「激昂」仮面になる時は、だいたい2通りです。

 ① まさに今この瞬間、不愉快な思いをして怒る。例えば、中年のヘルパーさんに自分の部屋が雑然としていることを指摘された時など。お得意の「うるせぇ!」が出ます。ヘルパーさんは8人目を数え、今は若い人にお願いして一件落着になりました。

 ② ドラえもんの『どこでもドア』のように時空を超え、60歳になったり30歳になったり。一番スゴかったのは、終戦時翌月には15歳になるという母が、その時の感情と記憶をまざまざと「激昂」しながら語った時でした。

 もう2年前のことです。まず怒りは「終戦」という新聞の書き方が気に入らないことから始まりました。突然に「終戦記念日じゃねえだろ!敗戦記念日だろ!」と叫んだのです。後は次から次に怒りが爆発です。

イケメン介護福祉士とのツーショットにご機嫌(c)ヘルプマンジャパン/中村泰介

 曰く『B29が来るという時に学校はなんだ! 警戒警報の時には子供たちを帰さず、空襲警報が鳴ってB29が見えてから子供たちを帰すんだ! 何百人子供たちが殺されたと思ってんだ! 在郷軍人の奴らには本当に頭に来た! 突然に防空壕の中で軍刀を抜き、てめえら、入るとぶっ殺すゾと叫びやがって!! 市民を守るなんて大ウソだ。教師も最低だ! 今まで「鬼畜米英」と教えていたのに、敗戦後は米国の民主主義は素晴らしいだ、と!』。こんなすざましい体験を15歳になるまでにした少女が、フツフツと沸き上がる怒りをずっと抱えて戦後を生きてきたことは想像するまでもありません。

 ところが、あんなに「激昂」仮面になって怒っていたのに、翌年の終戦記念日はスルーし忘れ去りました。母を長年苦しめて来た怒りの根源の感情を認知症が、解き放ってくれた? そう考えると認知症の力を借りて「忘れる」ということは、素晴らしいとさえ思えてきます。この辺りを「毎アル3」でどう描くのか。監督としての新たな挑戦ですね!

 さて「毎アル2」が大ヒットする中、母は初めてWebの介護系サイトのための写真撮影に応じました。母が大好きなイケメン介護福祉士、浜崎裕一郎さんとのこの写真!

 関口宏子、9月22日で84歳。どうやら「激昂」仮面はお役ご免になり、恋する乙女に大変身です。「毎アル3」を前作以上に作りたいと思っているのがご理解頂けますよね?

2014年10月