コラム「母を撮る」

真夏の異変

関口祐加 映画監督

起きたばかりの母。ガンバレ、母ちゃん!

 2016年8月は、在宅7年目の介護で最も重要で、母にとっては大変つらい月となってしまいました。8月の猛暑とテレビの戦争特集という最悪なコンビネーションの中、母の記憶の壺の底にこびり付いている戦争体験と私の妹との長年の確執が、ドーンと吹き出してしまったのです。

 極度の不安からか、母は夕食後2〜3時間ほど寝た後、夜中から朝方まで1時間もしないうちにトイレに通うのです。こういう心のパニック状況になると止めることは、なかなか難しい。私は、そんな母を夜中までは見守り、後は、母が転倒しないように縁をバリアフリーにしたり、ノンカフェインのお茶をマグカップに3杯ほど作り置きし、ちょっとした夜食も置いて就寝します。ちょうどリオ五輪のスタートラインで十字を切るボルト選手の気持ちに似ているかも知れません。できることはして、後は天に任せる。また、私が疲労しては、母のどんな状況にも対応が難しくなるという考え方でしょうか。しかし、朝6時には起床し、真っ先に母の状況を見ます。夜中に母自ら水分補給をして夜食も食べている時は、寝ていることが多く、そうでない時には、起きていることに気づきます。母は、夜通しのトイレ通いに脳も身体も心も疲労困憊(こんぱい)している様子で、ずっとテンションも低いまま、一日を過ごします。

大好きな食べ物の前でもこの通りテンションが低い……
(C)NY GALS FILMS 2016

 ある朝、母が起きていた日でした。そして、私の顔を見ると「ここは、どこさ?」「あんた、誰なの?」と言うではありませんか!! 「キター!!」というのが私の正直な反応でした。実は、この「どなたさん?」は、「毎アル」製作中(2011年頃)で、母がまだ認知症初期の頃、母と姪っ子と私の3人の中で流行った遊びでした。母自ら「どなたさん?」と問いかけ、私たちがそれぞれ応えます。私は「隣の家のオバさん」で、姪っ子は「レディーガガ」というのが定番でした。母は姪っ子に便乗して「レディーババ」と当意即妙に答え、3人で大笑いしたものです。

 それでも私は、母の笑いの陰に隠れている恐怖心を見逃しませんでした。というのも、母は認知症になって初めて、自分の母親がボケて自分の顔を忘れられたのが最も辛かったと教えてくれたからです。認知症になる前は、他の姉妹達の顔は忘れたのに自分の顔だけは忘れなかったと言い続けていましたが、そんな嘘(うそ)をついていたこと自体を忘れたんですね。

 そんな経緯を思い出し、私はすぐに「隣の家のおばさんよ?」と明るく言ってみました。さて、母の反応は、いかに?(次号に続く)

2016年10月