コラム「母をみとる」

母の誕生日の考察

おちゃめな母

 ご存じのように母の誕生日は、「毎アル」シリーズには、欠かせません。2012年に公開された「毎アル1」は、09年9月22日の母79歳の誕生日から始まります。09年から母が亡くなった19年まで、誕生日を11回祝ったことになります。

 

 正直に書けば、09年の母の誕生日は、撮影のことを考えた上での誕生日祝いでした。イベントは、撮影しやすいし、ストーリーに落とし込みやすいからです。しかし、母がとても喜んだので、そんな私の撮影の思惑はさて置き、自然と毎年やるようになりました。

 

 実は、認知症前の母は、誕生日が大嫌いでした。昔の人の考え方もあるかと思いますが、母はよく新年を迎えた時に一つ歳(とし)を取ると言っていたんですね。数え年の考え方だと思います。そう言えば、私も妹も小学校に上がってからは、誕生祝いをしてもらった記憶がありません。そんな母に育てられたし、私の照れ性もあり、誕生祝いは、私にとってさほど重要な行事にはなりませんでした。

 

母の誕生日ケーキ

 そんな母が、自分の誕生日に大喜びしている! 認知症ケアって、そういう些細(ささい)な変化に気づくことだとつくづく思います。そして、母の変化の理由を考えてみる。間違っても「誕生祝いなんてしてこなかったじゃない!」などと言ってはイケマセン。本人は、認知症前の自分の誕生日に対する考え方を覚えていないかもしれないからです。だから本人には、誕生日に対する姿勢の違いは言わず、自分の情報としてキャッチして、分析をする。私が、日頃から言っている『介護は、愛情よりも理性』の実践です。

 

 そうやって考えてみると、母は、6人姉兄の末っ子で、終戦時に15歳でした。とても誕生日を祝う余裕なんてなかったはず。自分で無意識に誕生日のことは、封印したのではないか、などと考えてみました。そして、認知症になり、そんな顕在意識は吹っ飛び、自分に正直な潜在意識が出てきた・・・まあ、そうかも知れないし、違うかも知れません。

 

 いずれにせよ、母の人生を掘り起こす方が、母に対して文句を言うよりもずっと健全ですし、楽しいものです。認知症ケアの全ては、介護側である私の視点であり、アプローチ次第なのです。どうせなら自ら意識して楽しい方向を選択しましょう。

 

 そんな私の姿勢が、母に伝播(でんぱ)し、母はドンドンおちゃめになっていったと思います。いわゆる「自分を解放する」と自ら許可を出したんでしょうね! そういう意味では、母の認知症ケアは、誕生日から始まって、誕生日を重ねるごとに、母が人として解放されるプロセスでもあったんだと改めて思います。

2021年10月