コラム「母をみとる」

82歳の友人


友人のOさんと

 時々<高齢者の会>と称して、地元の喫茶店に4~5名、多い時には6~7名で集まってお喋りをしています。私が無水カレーを作った時には、持参して皆さんと一緒に食べて、ガハハと笑い楽しい時を過ごしています。

 実は、今回書こうかどうか、少し迷ったOさんの話です。私とOさんは、Oさんがお住まいの区の文化協会の会長さんをやっていらっしゃることもあって、初対面で意気投合しました。ただ、82歳という年齢もあり、少しお話にリピートが、ありましたが、かくしゃくとされていて、いつも元気いっぱい。毎回お会いできるのを楽しみにしていました。

 ところが、今年の1月に長患いをして入院されていたOさんのご主人が亡くなりました。そこからOさんの認知症が急激に悪化していったのです。2カ月以上外出をまったくされず、末っ子のお嬢さんが、時々Oさんの様子を見にいらっしゃっていたようですが、基本的には、独居生活です。

 そんなOさんが、3月に入ってから出ていらっしゃると言うので、急遽3名で集まりました。久しぶりにお会いしたOさんは、杖をついていて、身体が、右側に傾いていました。3年前に股関節の手術をされたのですが、急に痛み始めたそうです。何か変? 私の直感です。

 案の定、席に着くなり亡くなったご主人の悪口が、始まりました。次に、誰々にお金を貸しているけれど、返してくれないという話です。私は、キタ、キタという気持ちでしたが、喫茶店のマスターや他の人たちは、あんぐり。Oさんの話をウン、ウンと聞きつつ、ここで難しいのは、他の人たちにもある種の<心の準備のケア>や<認知症の情報>が必要だということです。

 Oさんが、トイレに立った隙に「Oさんが、認知症であることは、皆さんも薄々感じていたと思いますが、Oさんは、今初期の段階で、やっと色々な怒りを出せるようになったんだと思います」と話しました。Oさんの怒りの内容は、驚くべきものでしたが、焦点はそこではなくて、Oさんが、今まで我慢に我慢を重ねて口に出して言えなかったことが、言えるようになったことを讃えたい。そう、苦しんでいるのはOさんご本人だということです。今まで耐え抜いてきた人生を認知症の力を借りて吐き出す。ある意味では、必要不可欠なことだ思っています。

 ここで考えなければならないのは、他の病気のように病状を進行させないことは、認知症の人にとって本当に幸せなのか、ということです。私の母は、認知症が進行して自意識が薄れ、他人の目を気にしなくなった(出来なくなった)時期が、一番楽しかったからです。どのような認知症の人たちにもそんな時期を経験して欲しいと切に思っています。

 それには、ケアの環境や本人の理解が大事です。これからも私は、Oさんにできることを探り続けていきたいと思っています。

2022年6月