コラム「母から学んだ認知症ケア」

叔母にどう活かす

叔母が住む町の今年の桜

 冒頭からご報告があります。今月号から新しいタイトルになりました。「母から学んだ認知症ケア」です。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

 母が逝き、家の処分も済み、これからは、じっくり<母から学習した認知症のケアについて>書こうかと思っていた矢先……。

 縁戚と言ってもまったく血のつながりがない女性の認知症ケアに関わることになってしまいました! どっひゃーん!!(笑)

 便宜上、叔母と書くことにしますね。叔母は、まだ77歳になったばかりです。生涯独身で、ある意味女性闘士だった人。統合失調症の患者さんへの注射をやめさせて、当時の小泉純一郎厚生相にも会っています。その後、活動家として講演をしたり、同省の委員会でも大活躍をした人です。しかし、母方の遠戚とは言え、20年以上も音信不通でした。

 そんな叔母の身の上に一体、何が起こったのか? まるで、1988年の米国のドキュメンタリー映画「Who Killed Vincent Chin?」のようです。なぜならば、警察から連絡が入り、叔母に会いに行った時には、3日3晩飲まず食わずの状態で、さらには、白内障かと思いますが、盲目に近い状況だったのです。2度目のどっひゃーん!

 それからは、毎日叔母の元へ食事を届け、叔母が住んでいる地域の区役所へ行き、地域ケアプラザへも行き、担当者会議を1週間後(遅い!)に開き、現在要支援1の介護度の区分変更を申請したのです。そして、生活環境があまりにも酷(ひど)かったので、叔母には、ショートステイへ行って貰うことになりました。

 一つだけ、叔母のエピソードを書きますね。担当者会議には、ケアプラザからは、社会福祉士、新しいケアマネジャー、区からの介護認定士2人、同じく区の生活支援課から1人の合計5名が、いっぺんに来ました。2階にいた叔母は、大興奮して、大きな声で喋(しゃべ)り続け、全員が階下に降りて来ても喋り声が聞こえていました。

 そこで、認定士の男性が叔母の様子を統合失調症の<独語(ドクゴ)>であると言ったのです。私は、思わず<私は英語です>と返したら、誰も笑わない! 笑えよ!! 何よりも目が見えない叔母には、まだ2階に人がいたかもしれないと思い、喋っていると思わないのか、ふーん、と思いました。

 その後、叔母は、誰の助けも借りずに階下のトイレにゆっくりとお尻をつきながら、降りて来ました。その時にリュックを背負い、バッグを斜めがけにしていて、私の名前を呼びました。ここだよ、と返すと小声で「これだけ人が多いと、モノを盗(と)られるから」と囁(ささや)いたのです。「本当にそう思うよ」と私が、賛同すると安心して、トイレに入って行きました。これを<もの盗られ妄想>などと思っている人々には、叔母は心を許す訳がないのです。

 叔母は、もう変われない。後は、どう叔母にカスタマイズされたケアをするかという一点のみなのです。私にとっては、新しい被写体が、こんなふうに彗星(すいせい)の如(ごと)く現れるなんて、思ってもいませんでした。(笑)

 母から学んだ認知症ケアを実践で、どう叔母に活(い)かすのか。これから撮影をしながら、このコラムを書いていきたいと思っています。

2023年4月