コラム「母から学んだ認知症ケア」

介護の明暗

 私は、X(Twitter)の固定文言で、次のように書いています。

 終わりなき介護から、終わりからの介護へ。介護の先には、死。死は誰にも訪れる人生最期のイベント。死をオープンに語ろう。

 この言葉は、まさしく「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。」のテーマになりました。

 介護の先にある<死>を意識して、いえ、その時期をしっかりと見極めて、介護の方針を決める。ケアをしている人の終わりを考えて、戦略を立てるということに他なりません。冷たく聞こえるかもしれませんが、介護には、理性こそが必要なのです。介護側の思いは、どんなに尊くても邪魔になることが多いと考えています。

 私は、介護の相談を受けることがあります。最近、大変興味深い経験をしました。お一人は、お母様が、97歳で認知症の兆候があることに娘さんが、動揺されている。夏に限らず、高齢者は水分が足りないことが多いものですが、誤嚥(ごえん)性肺炎を考えれば、コップからじかに飲むのではなく、ストローが付いている介護用のマグをお勧めし、水分補強を提案しました。

 ところが、娘さんが、受け入れられない! しっかりされていたお母様が、介護用のマグカップから飲むなんて、というわけです。介護あるある、ですよね。この厄介な、ケアが必要なお母様とは関係ない<自分の固定価値観>を自ら解放しなければ、いい介護はできないのです。介護をしているご自分も苦しむことになります。

 もう一人は、お姉様が全身がんで、最期まで伴走されたケースです。お姉様の自分の家で逝きたいという願いを尊重され、医療と介護体制を整える。ここで大事なことは、独りでは、絶対に抱え込まないということです。弟さんが、私の友人ですが、見事に「終わりからの介護」を実践されました。お姉様が、寝たきりになる前に、お二人で、散歩をして桜を愛(め)で、お姉様が大好きなおすしを食べに行かれました。特に素晴らしいと思ったのは、お姉様は、抗がん剤も手術も拒否し、友人もそれを支持したことです。

 ケアを受ける本人の意思を最優先にしてサポートする。なぜなら主役は、介護を受ける本人だからです。医療者であろうと、介護事業所であろうと、家族であろうと全員脇役なのです。そして、本人とコミュニケーションがとれる時に、本人の逝き方をキチンと話し合う。

 私の友人は、お姉様が望んだように在宅のまま、みとりをしました。友人の口からは、悲しみよりも達成感の方が強いという言葉が、出てきました。私が母のみとりをした時と全く同じで、同感です。お姉様は、病院の主治医に放射線治療と抗がん剤と手術を、と何回も勧められたそうです。断固断ったお姉様は、大変気丈な方だったと思います。一旦、在宅医療にシフトしてからは、全てお姉様の望みをかなえようという医療/介護スタッフに囲まれ、最期は、穏やかに逝かれたのでした。それでも友人は、スタッフにこのように穏やかに逝けるのは、大変珍しいと言われたそうです。

 「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。」の公開は、2018年でした。さらに、楽しい認知症ケアの可能性を提唱してから13年ほどたちました。最近、大企業や認知症疾患指定の病院からの上映会や講演の要請が、増えています。大企業の職場からの介護離脱が、ようやくオープンになってきたということでしょうか。

 私は、ここで真面目に認知症ケア伝道師として、私の生涯をささげることを改めて誓いたいと思います。

2023年8月