コラム「母から学んだ認知症ケア」

母と息子の関係

 私の息子は、「毎日がアルツハイマー」撮影時にまだ10歳。小学校4年生でした。母のアルツハイマー病発症前から、息子(孫)と母の絆は、強く、特に母の息子に対する溺愛ぶりには、私が驚いたくらいでした。

 息子の2歳の誕生日は、地元の横浜のレストランで祝いましたが、息子は、スタッフの皆さんが「ハッピーバースデー」と歌いながら、ケーキを持ってくるのが、気恥ずかしく、ぶぜんとした表情をしたのです。母は、すかさず「この子は、自分というものをしっかりと持っている」と言って褒めました。これが、私や妹だったら、態度が悪いと叱ったに違いありません。

 しかし、そんな2人の関係が、母の認知症ケアに役立つとは、当時は、夢にも思っていませんでした。

 認知症初期の本人の最もつらい時に、家族も一番心配してしまいます。私もご多聞にもれず、母のふさぎ込みようや、何よりも自分の部屋への閉じこもりに心配が、ピークに達していました。

 今でもはっきりと覚えていますが、私はあるシーンを撮影していました。そして、手先の器用な息子が、洗濯物の室内干しを組み立てながら、撮影している私に向かって話しかけたのです。「お母さんはさ、おばあちゃんのことを心配し過ぎなんだよ」。「ええっ?」。思ってもみなかった息子の発言でした。

 この時、初めて息子から見た私の母への姿を教えられたのです。「私は心配し過ぎている」ということ。そして、そのことが母への態度に出ているというのです。「お母さんが、おばあちゃんのことを心配し過ぎているということが、おばあちゃんに伝わっていて、おばあちゃんが、自分のことを心配していることになっていると思う」「お母さんは、おばあちゃんに対して、少しリラックスしたらいいんじゃない?」。10歳の子のアドバイス! しかし、ドンピシャリだと思いました。こんな時から、息子は、問題は、おばあちゃんではなくて、心配し過ぎている私だと指摘してくれたのです。

 認知症ケアにおいて、ついつい介護側は、認知症本人の問題をクローズアップし過ぎて、その問題に対してどうしようかと考えがちですよね。息子の指摘は、そういうふうに考え、行動している私こそが問題だと教えてくれたのです。

 これは、実は、パーソン・センタード・ケアのエッセンスです。10歳だった息子が、このことを自然に分かっていたと思うと驚くと同時に、羨ましい限りです。母は、そんな息子のことを誰よりも信頼し、息子は、息子で、いつも母の味方をしていました。心細かった母にとって、どんなにか心強い存在だったことでしょう。

 親バカになりますが、息子には、冷静に物事を判断する力が、備わっていると思います。母が在宅のまま亡くなる直前に、息子が「皆に知らせた方がいいと思う」と言ったのです。母の<危篤状態>に悪い意味で慣れてしまっていた私には、母の状態を冷静に見る眼(め)が、失われていた時の適切な発言でした。事実、息子が言った2日後に母は、息を引き取ったのです。

 実は、息子のこの冷静さは、母から受け継いだ資質なんですね。まさに隔世遺伝! この冷静さは、息子が長じて料理人になる決断をした時にも、フランスのリヨンへ料理留学した時にも活かされました。そして、1年後の今年の8月初めにリヨンより帰国し、東京のフランス・レストランの就職先を見つけ、9月の最後の週に職場へ歩いて通える場所へアパートを見つけて引っ越しをした時にも。

 息子の冷静な判断の後ろには、いつも母がいるように思われてなりません。母は、この世からいなくなっても息子の<守護霊>として息子を守ってくれている。そう信じています。

2023年10月