家族の会だより

心では受け入れられないのが家族

 「かあさん、一(はじめ)にありがとうって言ってけれ」

 認知症となった父は2012年9月、73歳で亡くなる前の1週間ほど寝たきりとなりました。母が排便後のお尻を拭く時にあまりゴシゴシ拭くので、私が代わりに拭いてあげ「優しく押すように拭いて」とその都度、母に伝えていたのです。冒頭の言葉は私が父のお尻を拭いた後、母に向かって伝えた最期の言葉でした。

 父は22年前の夏、仕事中にハシゴから落ちて頭部を強打し、生死の境を彷徨いました。25歳だった私は丸4年勤務した営業職を辞めて実家へ戻り、介護職の道を歩きました。幸い父は回復しましたが、今思うとその頃から認知症の兆候があったようです。

 介護職は人に感謝されるやりがいのある仕事です。時には認知症のご利用者から叩かれたりすることもありますが、認知症の方は望んでそのような事をするのではないと理解していれば特に辛いという事はありません。私は、家族の愚痴は家族の問題も大きいと思っていました。

 そんな私が介護の辛さを知ったのは、父の認知症が明らかになった時でした。廊下にウンチをポタポタとこぼしながら歩く父に怒りながら床掃除をする母を見て、胸がキューッと締め付けられました。父はたくさんの事を教えてくれた偉大な存在でしたので、なおさらです。さらに、専門職として受容しようとする心と、家族として、どうしてこうなってしまったんだという悲しみや怒り、もっと早く手を打っていればという後悔が入り混じり、心の整理がつきませんでした。

 このとき「理屈ではわかっていても心では受け入れられないのが家族の心情である」という事に初めて気づきました。

 介護保険制度で家族の負担は軽減されました。しかし、愛する人の事さえ忘れてしまう本人の苦しみや家族の葛藤は少しも変わりません。共に支え合う家族の会の役割は変わらず大きいと思います。

秋田谷一・認知症の人と家族の会理事(青森県支部副代表)

2020年10月