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「老いを語る」出演者の発言要旨

毎日新聞社会部・銭場裕司専門記者 「人生100年時代」と言われ、年を重ねた時にどう生きるか、病とどう向き合うかといったことは大きな課題になっています。人生を前向きに生きているお二人を招いて、ヒントになるようなお話をうかがえればと思っています。山本さんは医療に関わるドラマの出演も印象深いですが、舞台裏や思い出などは。

山本學氏

山本學氏 最初に医学的に関わったのは「愛と死をみつめて」です。大島みち子さんという方が軟骨肉腫で。当時はがんの告知はなかった。ラジオドラマでやったときのリハーサルで泣けちゃって。役者は感情に溺れちゃいけないんですけど、こんなに泣ける本はないから、とTBSの東芝日曜劇場を担当していた石井ふく子さんに持ち込んだんです。

 今はがんの告知なんて当たり前。認知症は(まだそうではないが)、僕が今日出演したのは、認知症で悩んでる方も救われると思ったから。認知症は風邪とか盲腸とかと同じ。それと同じように捉えて自分で自分を見つめなきゃ駄目。不安がっていないで。

銭場記者 山本さんと言えば「白い巨塔」。山本さんが内科医で田宮二郎さんが外科医役でした。

山本氏 大きな病院で触診や聴診器の使い方を教わり、白衣を着て手術も見学しました。

銭場記者 田宮さんが山本さんの盲腸を切りたいと言った?

山本氏 田宮さんが僕に「盲腸はあるか」と聞くのでもう取ったと言うと、「僕は盲腸の手術ならできるよ」って。

意識的に運動を

銭場裕司専門記者

銭場記者 山本さんは80代で胃がんになり2度切除されました。

山本氏 結局、胃を3分の2取って。古い人間だから、医者の言うことを聞いて食べて運動すればどんな病気でも治ると思って。運動をし過ぎて12キロ痩せてしまいました。それまでは3階まで階段を駆け上がるような生活でした。今でも朝は何千歩か歩いています。話は飛ぶけれど、認知症は運動するしかないんですよ。運動を意識的にできるかできないかでは相当(大きい差がある)。

銭場記者 かつては、大きな演劇の前には山に入って鍛えておられたとか。

山本氏 1カ月、山にこもって。ボクサーと一緒ですよ。食べて歩かないと続かないんですね、体が。舞台は始まったらもう1カ月休めないですからね。

銭場記者 22年、軽度認知障害、MCIと診断された山本さんの診断書を読みます。「精査の結果、上記の診断をした。その背後にはアルツハイマー型認知症があるものと考えている」

山本氏 「と考えている」っていうのが曖昧っていうかね。認知症は数値で示せないですよね。

銭場記者 受診をしようと思ったきっかけは何ですか。

山本氏 幻視です。

銭場記者 専門医のもとで筋力トレーニングをされています。

山本氏 自分の足を上げて止めていると震えてきます。その痛みを脳で感じてくださいと。運動は脳から指令して部位を動かしますが、逆の形で脳を刺激して進行を遅らせるというものです。

イラストで記録に

銭場記者 三橋さんはレビー小体型認知症の診断を19年に受けました。おかしいと思ったのは。

三橋昭氏

三橋昭氏 突然幻視が現れたんです。最初は飼い猫のたまちゃんでした。なでようとしたら手がすっと入っちゃった。それが最初の衝撃。それから3週間ぐらいしたら天井に土偶が現れた。この時点でおかしいなと思って検査を受けたらレビー小体型認知症でした。正直、不安はありました。でも、いつまでも不安に思っていても治す薬もないし、付き合っていくようにした方がいいかなって。そして幻視をイラストにして記録に残すことを始めました。

銭場記者 山本さんはどんな幻視が見えましたか。

山本氏 僕は図形。迷路みたいな図形とか。それから幾何学模様。運動などをしていると出なくなったんですけど、疲れると明け方に出やすいみたいですね。

三橋氏 僕も明け方です。夕方とか昼間とか、人によって違いがありますね。

山本氏 壁を開けて親戚が出てきたとか、はっきり見えるんです。4カ月ぐらい前に粘土でできた怪獣みたいのが出て。ベロが赤くて、ベロベロって動いて。ベロだけ色つきで。ただ、ひとつの生理的な現象、脳の現象ですからね。大騒ぎするのではなく、慌てないでどうしたらいいか、まずは診断を受けることが大切ですね。

銭場記者 (幻視は)今まで見たことのないものを見ますか。それともゆかりのあるものですか。

三橋氏 見たことないものと思っていますが、子どものころトランプで遊んだ記憶があってトランプが出てくるというようなことはあるんじゃないかなと思います。

山本氏 おやじが設計家で、設計家になる勉強を強制的にさせられました。それで幻視に図形が出てきたんじゃないか、と。

三橋氏 自分は怖いものがほとんど出てこないので楽しみで。

山本氏 私も怖さは感じません。

銭場記者 幻視と言うと怖いものが出る、と思われていましたが、そうでない方も多い。お話を聞くと少し冷静に幻視を見られるようになるのかなと思います。三橋さんは何に支えられていますか。

三橋氏 新しいことにチャレンジをしようと思っています。何も分からなくなるかもしれないのでイラストを描くのを自分のための記録として始めましたが、運動もやるようにしようとか。

山本氏 年を取れば機能が落ちてくるのは当たり前。だから努力しないと。「老いを語る」じゃなく「老いは行う」だ。考えてちゃだめ。面倒くさくなる、年を取ると。ちょっと後にしよう、とかそれが一番いけない。しんどいですよ。でもそのしんどさを許していたらどんどん若さがなくなっていきます。役者としてせりふって覚えるものなんだ、と(思うようになった)。昔はわざわざ覚えなくても(出てきた)。でも仕方ない。覚えることがお金をもらえること。だから面倒くさがらずにやる。

三橋氏 僕は1月、後期高齢者になりますが、70代とか80代とか年齢は関係ないですね。

山本氏 関係ない。人によって違うのだから。

自由に生きている

銭場記者 三橋さんの言葉で印象深いのは「認知症になって自由になれた」というものです。

三橋氏 認知症の人は「何もわかんなくなっちゃう人」みたいな言われ方をしていますが、そうではなく、自由に生きているんだな、と思えるんです。いろんなしがらみを無くして、でもしがらみがなくても生きていける、自由を獲得しているんじゃないかなと捉える方が前向きかな、と。

銭場記者 山本さんは以前、ラジオで「生ききる」とおっしゃっていました。

山本氏 僕はお袋、家内を家でみとり、死が日常。昔はじいちゃん、ばあちゃんが死ぬのを見て死を経験していたけれど、今の人はそういう経験が少なく死ぬことは怖いのでしょう。でもいずれ死ななきゃいけない。生ききるというのは最後まできちんと意識して生きること。おびえないで。

銭場記者 視聴者からの質問です。一番楽しまれていることは。

山本氏 脳の本を一生懸命読んでいます。脳の設計図みたいな。

三橋氏 今年からバンドに参加しています。認知症の人、そうでない人まぜこぜですが、楽しくてしょうがないですね。

銭場記者 老いを受け入れる極意、素敵に年を重ねられる秘訣(ひけつ)は、という質問が多いです。

山本氏 自分で考えるのが楽しいのでは。自分で作り上げることを大事にされた方がいいんじゃないですか。何でもいいんですよ。

三橋氏 山本さんは「今」を大切にしていて、それが大事な気がします。のんべんだらりと100歳まで生きるよりも、濃く90歳まで生きた方がいいのではないですか。(幻視の)イラストを中心とした本を出しました。自分自身の記録のために描いていたので、本にする意識はまったくなかった。

でも、読んだ方の何かの役に立つかもしれない、ということで引き受けたんです。何か役に立てるかもしれない、というのはうれしい感じがする。そういうふうな生き方をこれからもしていきたい。

山本氏 私は朗読をやっていこうと。マイクは使わず、どんな形でもいいから。ただ、自分で納得いかなくなったらもうやめますけど、それまでに死ぬでしょう。

死期を知っておく

銭場記者 いやいや、そんな。

山本氏 死ぬとなると「そんなこと言わないで」ってよく言うけど、自分で(死期を)知っておかないと。俺が死んだら永代供養にしてもらわなきゃいけない。(死後の)段取りをきちんとつけなきゃいけない。友だちの奥さんから「主人がちょっとぼけちゃった」と相談の電話があります。「私がこうなったらこうしてほしい」とか、きちんと話し合っておくように言っています。息子はどこまで面倒みれるのか、その先は病院に入れなきゃいけない。介護は大変。あるところまでは親孝行でやれるけど、後はプロに任せる、そういうことを嫌がらずきちんとしていくことが大事だと思います

2023年12月