大阪社会事業団について/沿革

はじまり

慈悲平等

慈悲平等

 公益財団法人 毎日新聞大阪社会事業団は新聞社が組織した法人としては、わが国で最も古く1911年(明治44年)に、財団法人 大阪毎日新聞慈善団として設立され、スタートしました。

 前年の1910年12月に大阪毎日新聞発行1万号を記念し、当時の本山彦一第5代社長が「一本の指のうずきは同時に全身の苦痛である。社会の一隅に、生活に疲れ、病に苦しむものの存することは、すなわち、社会全体の悩みでなければならない…社会連帯の精神に立って社会事業に着手する」と立ち上がったのでした。

 

これまでの歩み

第五代社長 本山彦一

第五代社長 本山彦一

 大阪毎日新聞慈善団が最初に着手した事業は困窮者を無料で診療する巡回病院でした。

 自動車のほか「慈愛丸」と名付けた病院船を造って派遣、近畿一円のほか、遠く中国大陸でも無料巡回診療をし、大地震、大火などの災害時にはすばやく救護班として活躍、診療者数は1938年(昭和13年)までの27年間に延べにして160万人に達しました。

 救ライ事業も1913年から全国ハンセン病療養所へ援助。1960年から8年間にわたって鹿児島、沖縄のほか台湾、韓国にも歯科診療奉仕団を派遣しました。

 1948年秋にはヘレンケラー女史を招き、障害者福祉の全国キャンペーンを主唱、戦後の障害者福祉の増進に大きな役割を果たしました。

 1979年からは海外にも援助の手を伸ばし「世界子ども救援キャンペーン」を開始するなど国内外の様々な福祉事業に取り組んでいます。