主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2010年ケニア・エチオピア エチオピアから (2)

せめて自由に歩きたい
内戦…右足に爆弾破片、母と2人きり

母親のデカさん(左)に支えられて立つリドワンちゃん。内戦に巻き込まれて負傷してから、母が娘のつえ代わりになってきた=エチオピア・ドロアド近郊のボコルマヨ難民キャンプで2010年6月11日、小松雄介撮影

母親のデカさん(左)に支えられて立つリドワンちゃん。内戦に巻き込まれて
負傷してから、母が娘のつえ代わりになってきた=エチオピア・ドロアド近郊の
ボコルマヨ難民キャンプで2010年6月11日、小松雄介撮影

 9歳の少女は片足を引きずり、母親に支えられながら、難民キャンプ内の学校に通っていた。3年前、ソマリアの首都モガディシオの路上で戦闘の巻き添えになり、右足に障害が残った。2年前には、武装勢力によるテロで父親を殺害され、兄弟姉妹とも生き別れになった。将来の希望を尋ねると「せめて自由に歩きたい」とつぶやいた少女の目からは、涙がこぼれ落ちた。

 リドワン・アブドゥラヒちゃん。昨年9月から、母親のデカ・ユーゼフさん(41)とエチオピア南東部の町ドロアド近郊にあるボコルマヨ難民キャンプで避難生活を送る。

 リドワンちゃんは両親、9人の兄弟姉妹とモガディシオに住んでいた。右足を負傷したのは6歳の時。昼間、自宅前の路上にいた時に、突然、至近距離で爆発が起きた。武装勢力が放った長距離砲だった。右足のひざには爆弾の破片が刺さり、血が流れ出した。外出先から駆け付けたデカさんがすぐに病院に運んだが、傷は神経に達していた。

 その約1年後、今度は父親がテロの犠牲になった。モスクでの礼拝中に、侵入した武装勢力の兵士が銃を乱射したのだった。洋服、アイスクリーム、ビスケット……。リドワンちゃんにとって、「欲しいと言った物は何でも買ってくれる父」だった。父の死後、他の兄弟姉妹は親類に連れられ、ソマリア北部やケニアに避難。デカさんも残ったリドワンちゃんとエチオピアに避難し、一家は離れ離れになった。

 リドワンちゃんの右ひざには今も破片が残り、腫れて痛む。つえも手に入らず、母親の支えなしに長い距離は歩けない。デカさんは「学校に通うのも、トイレに行くのも手助けが必要だ」と嘆く。難民キャンプ内の学校では、他の児童とけんかし、体を突かれて転んだこともあった。友達はいない。リドワンちゃんは「お互いのことをよく知らないから」と目を伏せる。

 リドワンちゃんの夢は「教師か医師になること」。友達と走り回って遊ぶことはできないが、勉強が好きで学校に通い続ける。デカさんは「他の子どもたちは連絡がつかず、居場所さえ分からない。せめてリドワンには医療の優れた国で治療を受けさせて、自由に歩けるようにしたい」と願う。

 難民キャンプ内には、腕や足を失ったり、体の一部に障害を抱える人が多い。大半はソマリアで約20年間続く内戦の負傷者だ。キャンプへの避難で身の安全は確保されるが、水道や電気のないテントの中で厳しい生活を強いられている。【ドロアド(エチオピア)で遠藤孝康】

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