過密キャンプ脱し荷役
「パーン、パーン」。乾いた銃声が数発、青空に響いた。パキスタン北西部のジャロザイキャンプ。記者の目前で何者かが突然、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の車に向けて発砲した。避難民の登録を受けようと、数百人が列をなしているすぐそば。けが人はなかったが、この日の作業は中止になった。
アフガニスタンと国境を接する北西部の部族地域は、01年の米同時多発テロを受けたアフガニスタン戦争の影響で戦火にまみれ、アフガンのタリバン政権崩壊後はパキスタン軍と武装勢力との争いが絶えない。今年1月以降、戦闘が激化したカイバル地区周辺では約2カ月間で約8万8000人が故郷を追われ、国内避難民の数は20万人(4月末時点)に膨れ上がった。
避難した人たちはキャンプで名前を登録されると、テントや食料などが与えられ、当面の生活を約束される。だが、朝から強い日差しが照りつけ、夏は最高気温が40度にもなるキャンプは決して安住の地ではない。発砲した男は、進まない登録作業にいらだっていたようだ。銃声に驚き、屋内に避難したスタッフの男性は「我々も休みなしで働いているが、キャンプに逃れてくる人の数が多過ぎる」と困惑の表情を浮かべた。UNHCRペシャワル事務所のタイムールさん(30)は「戦闘に巻き込まれて夫を亡くし、子連れで逃げてくる女性も多い。状況が良くなる兆しはなく、国際社会の支援が必要だ」と訴えた。
白いテントが延々と続くジャロザイキャンプには、かつてアフガン難民が暮らしていた。帰還や転居が進んで閉鎖されたが、09年に国内避難民用に再開された。「我々パキスタン人は助ける側から助けてもらう側になった。皮肉なことだ」。近くに住む男性(40)はそう言って、ため息をついた。
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キャンプから車で3時間。首都イスラマバードとラワルピンディの境にある市場を訪ねると、キャンプ生活を脱したアフガン難民らが野菜商や荷役として働いていた。子どもたちは売り物にならない形の悪い野菜をもらって回るのが日課だ。
ガファル君(17)は、自慢のロバ車で客の荷物を運び、母や妹らを養っている。アフガンから逃れてきた父は6年前に結核で死んだ。1日の稼ぎ約300円からロバの餌代などを引くと、手元に残るのは半分ほど。食べていくのがやっとだ。ロバは兄が数年間ためたお金で買ってくれたという。ガファル君は「しっかり働いて、今度は僕が兄さんの結婚資金を稼ぐんだ」と話し、雑踏に消えた。【文・堀江拓哉、写真・小川昌宏】