主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2016年ヨルダンのシリア難民 熱砂のかなたに (2)

下半身が不自由なムハンマド・ディアブさんにマッサージをする娘のバトゥールちゃん=ヨルダン・アンマンで2016年9月11日、久保玲撮影

下半身が不自由なムハンマド・ディアブさんにマッサージをする娘のバトゥールちゃん=ヨルダン・アンマンで2016年9月11日、久保玲撮影

 「イード」(犠牲祭)と呼ばれるイスラム教の祝日を控えた9月上旬、ムハンマド・ディアブさん(41 )はアンマン市街の5階建てアパートの一室でベッドに横たわっていた。ズボンから伸びるチューブは床上の ポリ袋に届き、尿がたまっていた。シリアの内戦で負傷し、下半身の感覚を失った。

 下ろし立ての服で着飾り、親族や友人に新鮮な羊肉をふるまって数日間を過ごすイード。会社や学校も休 みになる日本の正月に当たる祭事だが、9人家族のムハンマドさん宅はひっそりとしていた。

 「羊を買う金もないし、訪ねてくる親戚も近くにいない。シリアでは毎日人が死んでいるのに、イードを 祝う気にはなれない」。視線の先のテレビでは、母国で空爆が続くニュースが流れていた。

 シリアの首都ダマスカス郊外で溶接工をしていたムハンマドさんは2013年5月、果樹園で木にもたれ て仲間と語り合っていた。遠くに戦車が見えた数秒後、ごう音が鳴り響き、尻から全身に衝撃が伝わった。慌 てて身を隠した民家に2発目が命中し、破片が背中を直撃。脊髄(せきずい)を傷付けた。

 政府軍と反政府軍が激戦を続ける混乱の現場で病院は見付からず、ヨルダンに向かった。弟の運転する車 が政府軍の検問で止められ、反政府活動への関与を疑われたが、大けがの患部を見せて疑いを晴らした。

 家族を呼んで、14年1月からアンマンで暮らし始めた。ヨルダンのシリア難民65万人のうちキャンプ で生活しているのは2割ほどで、大半はムハンマドさんのように都市部で部屋を借りて暮らす。1人当たり月 20ヨルダン・ディナール(約3000円)の食費が支援されるが生活は苦しい。

 9月から公立学校に通い始めた末娘のバトゥールちゃん(7)のバス代(月約2000円)が払えず、2 キロを歩いて通わせる。通学カバンは誰かが玄関前に黙って置いていってくれた。

 「施しを受けるのは恥ずかしい。親らしいことがしてやれず情けない」。ムハンマドさんがため息をつく と、同じベッドの隅で座っていたバトゥールちゃんが父の膝を曲げ伸ばし、太ももをもみほぐすマッサージを 始めた。看護師をまねて自ら始めた日課で、毎日30分ほど続ける。

 バトゥールちゃんは、医師になって父のようなけが人を治すことが夢だ。「自分の名前を書けるようにな ったし、英語も少しは分かるの」。学校の勉強が楽しくて仕方ない。

 マッサージ中に脚がぴくっと反応した時、大きな声を上げて笑った。「お父さんの脚が動いた!」。表情 を緩めたムハンマドさんが娘の頭を優しくなでた。【文・津久井達、写真・久保玲】=つづく

 

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