主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)/歩み(これまでの活動)

歩み(これまでの活動)

 戦争や貧困に苦しむ子どもたちを救うため、毎日新聞大阪、東京、西部の各社会事業団が毎日新聞社とタイアップし、記者とカメラマンを世界各地に派遣する報道企画「世界子ども救援キャンペーン」(旧「飢餓・貧困・難民救済キャンペーン」)は、08年で30年目を迎えた。「国際児童年」の1979年にバングラデシュなど3カ国から始まり、これまでに延べ65取材班が52カ国・地域を訪れ、読者などからの募金は総額約15億円に上った。【福田隆、隅俊之】=08年6月20日付「毎日新聞」より

「鉛筆の祈り」から始まった

第1回バングラデシュ 1本の鉛筆に両手を合わせて大事そうに受け取る子供=チッタゴン郊外「マハムニ母子寮」で79年、中尾豊撮影

第1回バングラデシュ
 1本の鉛筆に両手を合わせて大事そうに受け取る子供
=チッタゴン郊外「マハムニ母子寮」で79年、
中尾豊撮影

 第1回(79年度)では、バングラデシュ東部にあるマハムニ母子寮を訪れた。日本から贈られた1本の鉛筆を、両手で挟んで大事そうに受け取る少年の写真は読者の心をつかみ、募金は5000万円を超えた。当時、母子寮では暗い緑色の汚れた水を飲んでおり、体調悪化や病気の原因だった。日本からの支援で完成した井戸を、当時の紙面は「ベンガルの水革命」と伝えた。

 マハムニ母子寮は76年、同国の独立後の混乱で家を失った人々を救済しようと、静岡県出身の故・渡辺天城僧侶が設立。渡辺僧侶の後継で現地で運営にあたっていた福井宗芳僧侶が昨年10月に62歳で亡くなり、今は母子寮出身の現地の男性が引き継いでいる。現在も日本からの寄付金を基に運営されており、入所者数は6~16歳の105人。30年前よりもその規模は大きくなっている。

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79年~88年 戦争と飢餓、難民の中へ

最初の10年間は、ベトナム戦争などによるインドシナ難民と、アフリカの飢餓難民が主な取材対象となった。

 インドシナ半島には6取材班が派遣された。第3回(80年度(2))の連載の書き出しは衝撃的だ。「『アー、アッ』『アー、アッ』――廊下にもれてくる奇妙な声にひかれて、病室に足を踏み入れた。

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89年~98年 民族紛争の現場へも

 11年目以降の10年間は、アフリカの飢餓問題を継続的に取材しながら、民族紛争の現場にも数多く足を運んだ。また、第19回(89年度)はキャンペーン初の女性チームで、エチオピアとスーダンで内乱や干ばつにあえぐ人々を追った。

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99年~07年 大規模災害の被災地へ

 21年目から現在までの10年間では、アフガニスタンやパキスタン、スリランカなど大規模自然災害の被災地に11取材班を派遣した。児童労働やエイズなどの社会問題も露呈し、避難民情勢は多様化・複雑化の様相を見せた。

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世界の難民・国内避難民は3990万人

取材先地図1

取材先地図1

取材先地図2

取材先地図2

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)、NGO(非政府組織)「ノルウェー難民委員会」の統計を総合すると、世界の難民・国内避難民総数は、07年末で約3990万人(07年の帰還民含む)いる。

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