主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)/歩み(これまでの活動)

歩み(これまでの活動紹介)

89年~98年 民族紛争の現場へも

第31回 アフリカ。ルワンダ内戦から逃れ、隣接するタンザニアのルスモ地区に集まったルワンダ難民は約30万人。難民たちにとって、ルスモを流れるルブブ川の泥水は命の水だ =片嶋俊一撮影

第31回アフリカ
ルワンダ内戦から逃れ、隣接するタンザニアのルスモ地区に集まったルワンダ難民は約30万人。難民たちにとって、ルスモを流れるルブブ川の泥水は命の水だ
=片嶋俊一撮影

 11年目以降の10年間は、アフリカの飢餓問題を継続的に取材しながら、民族紛争の現場にも数多く足を運んだ。また、第19回(89年度)はキャンペーン初の女性チームで、エチオピアとスーダンで内乱や干ばつにあえぐ人々を追った。

 フツ族とツチ族の主導権争いを背景とした内戦が激化したルワンダには、94年度以降4取材班が入った。第31回(94年度(1))は、隣国タンザニアに逃げてきた難民の話として、「後ろ手に縛られたり、首のない数十の死体が、ルブブ川上流のルワンダから(タンザニアに)流れてきた」との目撃談を記事化した。

 第33回(94年度(3))は「出口のない紛争」と称され国民の2割が難民となった旧ユーゴスラビアを取材した。逃亡中に民兵から拷問を受けた少女(15)は、自然に笑うことができなくなっていた。少女の母は記者に「私たちが故郷に残してきたもので、だれにも盗めないのが一つある。一族がそこで生まれ、育ったという根だ。(中略)私たちは帰る」と語ると、そのまま泣いた。

 第24回(91年度(3))は、「国を持たない最大の先住民族」と言われるクルド民族の取材でイラン、イラク、トルコの国境地帯を回った。イラクから逃げてきたクルド人家族は、なぜ村に帰らないのか、との記者の問いに口々に反発した。「夫を奪った国に、帰れるものか」「息子を連れ去った政府の下に、どうして帰ることができるのだ」。迫害された民族の峻烈(しゅんれつ)な感情だった。

 第35回(96年度(1))のネパール取材では、人身売買、売春、そしてエイズ感染という悪循環をリポートした。

 その後、1万人を超える人々の寄付金で98年11月、同国に「ネパール子ども病院」が建設された。寄付には、阪神大震災(95年)でネパールを含むたくさんの海外の人々が手を差し伸べてくれたことへの「お礼」の気持ちも込められており、キャンペーン報道は「形」となって現地に還元された。

 また、第21回(90年度(2))は、キャンペーン唯一となる南米に渡り、ブラジル、ペルーで、開発によるアマゾン先住民族の危機に迫った。

Back

Next