写真記者

喜屋武 真之介Shinnosuke Kyan

西部本社 写真部 沖縄駐在兼那覇支局

2009年入社

2009年入社 前橋支局に配属 日航ジャンボ機墜落事故などを取材
2014年東京本社 写真部に異動 政治からスポーツまでさまざまな現場に赴く
2016年写真部 仙台駐在に異動 東北6県を担当し、主に東日本大震災のご遺族や東京電力福島第1原発事故の避難指示区域などを取材
2019年東京本社 写真映像報道センターに異動 ラグビーW杯などを取材
2021年西部本社 写真部 沖縄駐在兼那覇支局に異動 写真記者とペン記者を兼務

かけがえのない「一瞬」に出会うため。時間をかけた真摯しんしな取材を。

 全国紙の写真記者としては唯一、沖縄に常駐して仕事をしています。

 故郷の沖縄は観光地として注目を集める機会が多いですが、太平洋戦争末期に繰り広げられた地上戦の記憶の継承や、集中する米軍基地の問題、子どもの貧困など、多くの課題を抱える地域でもあります。安全保障などは全国共通の課題です。県外の人たちにも関心を持ってもらうためにはどう伝えればいいのか。試行錯誤しながらシャッターを切っています。

 特に大切にしているのが、毎週土曜夕刊の写真企画「eye」です。関心のあるテーマを5~7枚ほどの組み写真と原稿で紹介するコーナーで、仙台駐在時代には東日本大震災のご遺族や東北の文化を、東京本社時代には児童虐待の被害者などを取材してきました。

 写真で伝えるためには、伝えたいテーマが立ち現れる「一瞬」にたどり着き、的確に写し取る必要があります。そのためには時間をかけて真摯しんしに被写体と向き合わなくてはなりません。

 沖縄戦で起きた、いわゆる「集団自決」を取材したときは、空振りを繰り返しながら生存者を訪ね歩きました。その末に巡り会った男性は、父親に殺されかけて負った頭の傷を隠して戦後78年にわたり生きてきました。

 「惨めだったよ」。初めて人前で当時の出来事や戦後の人生を振り返る中で男性が見せた悲しみや苦悩の表情は、戦争の愚かさを象徴する「一瞬」だったと思います。

 かけがえのない「一瞬」に出会うための取材を、これからも続けていきます。

One Day

8:00

出勤

子どもたちを学校に送り出してそのまま出勤

10:00

写真企画のためのインタビューおよび撮影。具体的な取材対象者がいないときは、街中を撮りながらネタ探し

13:00

昼食

持参した弁当で昼食

15:00

裁判の取材

18:00

支局で原稿作業

20:00

退勤

記事のチェック等を終え、帰宅。

My Favorite

沖縄着任前、奮発して買ったLeicaのQ2。プライベートのスナップ写真はもちろん、仕事でも活躍しています。じっくり被写体と向き合うことのできるカメラです

Interview

毎日新聞社の好きなところは?

個性を大切にしてくれるところです。

入社してから自分に起きた、良い変化は何ですか?

社会のさまざまな側面を知り、俯瞰ふかんして物事を見られるようになりました。

仕事をする上で大事にしていることは?

前例踏襲せず、新しい表現を心がけること。

休日の楽しみは何ですか?

子どもたちと海や山に遊びに行き、生き物を探すことです。

学生時代に打ち込んだことは?

高校時代はバドミントンです。今はひざが痛くて跳べません。大学ではアルバイトばかりしていました。

Message

自分の興味や関心を大切にして進んでください。