週刊「1億人の平成史」


第8回

小林よしのりさんの「平成:わしの戦い」(2)

―― 「自称保守」との戦い ――

小林よしのり

昭和28(1953)年、福岡県大野城市生まれ。漫画家。昭和51(1976)年、福岡大学在学中に『東大一直線』でデビュー。平成元(1989)年、『おぼっちゃまくん』で小学館漫画賞を受賞。平成4(1992)年連載開始の『ゴーマニズム宣言』は、社会派漫画、思想漫画として話題に。平成10(1998)年、「ゴーマニズム宣言」のスペシャル本として発表した『戦争論』は、シリーズ160万部を超える大ベストセラーとなった。近刊に、『ザ・議論!』(井上達夫と共著)、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論 平成29年』、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論・第三部 明治日本を作った男達』、『日本人なら知っておきたい天皇論』(田原総一朗と共著)など。


(承前)

『戦争論』後の変化

――(平成史編集室 志摩和生)小林さんの『ゴーマニズム宣言』は平成時代の世論に大きな影響を与えましたが、中でも平成10(1998)年に出版された『戦争論』(『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』)は、大東亜戦争(太平洋戦争)を肯定的に描き、ベストセラーになると共に、物議をかもしました。

小林 あの作品の執筆動機は、わしの祖父の記憶なんですよ。わしの母方の祖父は僧侶だったんですが、俳優の加東大介らと戦争中、ニューギニア島のマノクワリで慰問芝居をやっていました。その体験を加東が『南の島に雪が降る』という本に書き、舞台化、映画化されて、ずいぶんヒットしたんですよ。「南の島に雪が降る」とは、舞台に純白のパラシュートを広げて積もった雪を表現して、その上に紙で作った雪を降らせていたことをいうのですが、その舞台上の雪景色を見て、東北出身の兵隊たちが涙にふける……。

――映画『南の島に雪が降る』(昭和36=1961=年公開)は、僕も子供の頃、テレビで見ましたよ。

小林 そうですか。ほんとにあれは一つのブームだったんですよ。子供の頃、祖父の寺に行くと加東大介が来たりして、祖父が誇らしかったし、『南の島に雪が降る』を見たときは子供心に、とてつもない感動、魂の震撼(しんかん)のようなものを覚えました。その記憶が、『戦争論』で表れてきたわけですね。

 戦争に行った祖父の世代の人たちが、まったく報われずに死んでしまった。その人たちに、何らかの感謝の念を示したかったという思いが『戦争論』になったのです。

 戦後ずっと鎮められていなかった昭和の魂、死んでいった兵隊たちの魂に対して、平成の天皇陛下と同じような、たましずめ(鎮魂)をおこなったようなところがありますね。

――『戦争論』からさらに20年たって、「右傾化」の中身も変わったのではないでしょうか。小林さん自身が、最近は左翼代表みたいな佐高信氏とも意見が合うとか聞いて、驚いたんですが……。

小林 そうですね、左右に関係なく、わしと佐高氏の収斂(しゅうれん)していく所が同じになるというのは、要するにわしも佐高氏も「原日本人」だからなんですよ。そして夏目漱石も同じように、「原日本人」にこだわって生きていたんだと思います。

 わしは「原日本人」の感覚を追求していった結果として『戦争論』を描き、「右」に寄っていったことになるわけだけれども、そもそも「原日本人」という感覚そのものが、いまの「近代人」にはわからないのかもしれない。そこがわからないから、『戦争論』以降わしは誤解されているのではないかという気がします。

 「原日本人」の感覚からすれば、今の日本の保守といわれる人たちには強烈な違和感を覚えざるを得ません。わしはそういう人たちを、保守を自称しているだけの「自称保守」と呼んでいますが、自民党の自称保守派とか、あるいは「保守と呼ばれたい、リベラルと見られたくない!」という保守コンプレックスから、民進党を分裂させて希望の党に走った連中とかは、本物の保守じゃありません。結局、「従米(じゅうべい)保守」なんですよ。

 アメリカに追随していくための安保法制、アメリカに追随していくための9条2項を残したままの憲法改正。それは、わしのような「原日本人」から見れば、非常に堕落しているとしか思えません。

 本当の保守は自主独立、脱属国です。ところが実際にはそういう政党がない。むしろある意味、リベラルとか左翼のほうが「アメリカいいなりもうやめよう」とか言っていて、「原日本人」的要素を残している。例えばTPP(環太平洋パートナーシップ協定)問題では、絶対反対を主張しているわしと意見が合うのは共産党しかいないわけです。立憲民主党ですらグローバリズム、TPP容認になっちゃいますからね。自称保守は共産党を嫌っているけど、わしから見ればこっちの方がずっと保守的で、たいしたものだということになります。

――アメリカとの関係についても、昭和からの宿題をサボっていた感じがしますね。平成は30年あったけれど、解決できなかった。

小林 ほんとにそうです。だから敗戦をえんえんと引きずるわけですよ。

 自称保守は、憲法はアメリカ人が書いて押し付けたとか言って批判しているはずなのに、その一方で、今もアメリカについて行こうとばかり言っているわけだから、矛盾も甚だしい。それはわしの目指す保守とは全然違うのですが、その違い、そのズレが、一般にはまだ明確に理解されていません。

 わしの考える保守というのは基本的に、西郷隆盛の頃から変わらない、かつ、玄洋社などがやっていた自由民権運動とも変わらない。要するにナショナリズムですよ。あれは欧米化を推進する薩長藩閥政府に対する戦いだったのですから。

 そして、それは全部負ける運命なんです。西郷も負けたし、自由民権運動も勝てなかった。「原日本人」的なナショナリズムで欧米近代化を阻止しようとして、何度も何度も負けているのです。

 『戦争論』によっても、残念ながら、みんなが覚醒したわけではありませんでした。結局、アメリカに従属しようという従米保守に、大部分をすくい取られてしまった。ということで、まだ負け続けているんですね。

 わしはそれにまだ反抗しようとしているわけです。だからこれは、明治からえんえんと続いている戦いですよ。わしの戦いとは、そういうものです。

守るべきもの

――平成の後の時代でも戦いは続いていく、と。

小林 解決していないのだから、ずっと続けないといけない。

 今回の選挙でも、わしから見れば枝野幸男氏は保守だと思いますよ。憲法改正の是非とかはあまり関係ない。枝野氏は個別的自衛権を充実させる、集団的自衛権はダメと主張した。自分の国は自分で守る、これが保守なんです。

 個別的自衛権をできる限り行使できるように整備したうえで、もうこれ以上は憲法改正しないとできないから改憲しましょうというのなら、自立した憲法改正になります。

 ところが自民党は個別的自衛権を不完全にしたまま、米軍と自衛隊を一体化させる集団的自衛権だけを重視する。そして憲法も、「戦力不保持」を定めた9条2項をそのままにして、「戦力ではない」自衛隊をそのまま明記しましょうという。自分の国を自分で守れない、米軍に守ってもらわなければならないという事態を固定化することになってしまうから、これはもう完全な属国宣言なんですよ。「属国改憲」になるんです。

 わしはこんな改憲は阻止しなければならないと主張しているけれども、世間から見れば護憲派左翼と区別がつかなくなってしまう。でも、わしにしてみれば「属国改憲」は阻止するのが保守であり、同じことを言っている枝野氏も保守だと思っています。

 どうせ希望の党は安倍自民党的な属国改憲案に吸い取られていくんでしょう。だからわしは、まだまだ戦わなければいけないんです。この戦いはやりつづけなければならない。次の元号になっても、やらなければならない仕事として残っていきますね。

――保守の現状は別として、左翼のほうはだいぶ変わったのではないでしょうか。

小林 そうですね、なんでもかんでも日本が悪いというのは少なくなったかもしれません。例えば辻元清美氏も変化しましたよね。かつては天皇制なんて気色悪いとか言っていたのが、今は、天皇陛下に対する尊敬心が出てきたと認めていますし、以前は、自衛隊は要らない、軍隊は要らないと言っていたのが、今は個別的自衛権で守ろうと言うところまで来たわけだから。そんなふうに左翼も変化してきているところはあります。

――小林さん自身も、若い頃は左翼的だったりしたのが、変わったわけですよね。『天皇論』にもありましたが、最初は君が代斉唱に抵抗があったりした。

小林 君が代の意味も、だんだんわかってきましたね。だって君が代の意味を最初からわかっている人なんて、いないでしょう。

 若者は、反体制じゃないと本当はダメですよ。若いうちはやっぱり反体制・反権力で、時代や社会の中で自分が他人から規定されることが嫌だというような、反抗心を持っているのが当然でしょう。

 それがいまは20代の安倍政権支持率が高いらしいけれど、ネットに影響されて、若いのに最初から権力に「いいね」とか言っているやつは、頭がおかしい。共謀罪も賛成、監視社会でOKだなんて、完全に狂っていると思います。

 いまは若者の支持を受けて自由がなくなってきている。それはどうしても許されません。自由の幅が縮小してきているのを、なんとか食い止めなければならない。わしは表現者として、自由を死守しなければならない。その戦いもあるのです。

(つづく)*毎週月曜日更新

写真:毎日新聞出版・髙橋勝視