小室哲哉(こむろ・てつや)
昭和33(1958)年、東京生まれ。ミュージシャン、音楽プロデューサー。早稲田大学社会科学部在籍時からプロのミュージシャンとして活動。昭和61(1986)年、作曲家として渡辺美里に提供した「My Revolution」が日本レコード大賞金賞受賞。自身の音楽ユニット、TM NETWORKとして昭和63(1988)年にNHK紅白歌合戦に初出場。平成元(1989)年、ソロデビュー。シンガー・ソングライターとして、作曲家として、プロデューサーとして、1990年代に数々のミリオンセラーやヒット曲を放ち、「小室ブーム」を起こした。その象徴として、平成8(1996)年4月15日付のオリコンシングルチャートで、小室プロデュース曲がトップ5を占めた(1位 安室奈美恵『Don't wanna cry』、2位 華原朋美『I'm proud』、3位 globe『FREEDOM』、4位 dos『Baby baby baby』、5位 trf『Love&Peace Forever』)。今年、TM NETWORK『Get Wild』のリリース30年を記念したアルバム「GET WILD SONG MAFIA」に最新リミックス”GET WILD 2017 TK REMIX”を収録。さらに、かつてTM NETWORKのサポートメンバーも務め、accessとしても活躍する浅倉大介との新ユニット”PANDORA(パンドラ)”を結成。第1弾楽曲はフューチャリングボーカルにハイトーンボイスを持つ世界レベルの実力派シンガーBeverly(ビバリー)を迎え、2017年9月からのテレビ朝日系「仮面ライダービルド」主題歌「Be The One」(2018年1月24日発売)を手がける。
(承前)
――(平成史編集室・志摩和生)90年代は小室さんの曲でヒットチャートが埋まりましたね。
小室 そうですね。埋まりましたね。
――小室ブームは社会現象になりました。その渦中にいるのは、どんな感じでしたか?
小室 まずよかったなと思うのは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がなかったこと。ソーシャルな時代だと、たぶん、否定的な意見に負けてしまっていたと思うんですね。90年代はまだそこまでネットの時代ではなかったので、否定的な言葉が直接飛び込んでこなかった。
――炎上とかはなかったですからね。
小室 いい話だけを聞けて、否定的な話には耳を閉じることが可能でした。だから、前に進めた。これでいいんだ、と。
次の曲、次の曲と、週刊誌や月刊誌のように曲を作っていかなければいけない時期もありました。年間で、アルバムとかを含めると100曲近い時もありましたから、3日に1曲作っていたわけですね。そういう時期が2年くらいあった。
週刊誌、月刊誌のように、というのは、「次はどういう展開になっていくんだ」という興味をもってもらえていたと感じたからです。「今度はどんな感じでくるのかな」「次は変わったことしてくれよ」とか、そういう関心をしばらくもってもらえていた。それも、熱が冷めなかった理由の一つだと思います。
――小室さんはプロデューサーでもありました。曲を作りながら、売れ行きとかも調べるんですか?
小室 私はビジネスにそれほどたけているわけではないんですけど、大まかな数字は気にしていました。当時はいまほどデータが可視化されていませんでしたが、レコード屋さんやCDショップから何枚注文があった、といったことですね。
当時、多い時は、ぼくが全体の1割くらいを独占していたことがあったかもしれません。
――市場の1割ということですね。
小室 逆にいえば、9割は別のいろんな方が占めていて、ぼく以外に何百人という方がミリオンセラーを出していた時代でもありました。
――平成の前半はミリオンセラーが多かったし、みんなが知っている曲が多かった。
小室 きっと、家電メーカーの力もあったと思います。家電メーカーに、いまとは違う力があった時代で、傘下に必ずレコード会社を持っていたりしました。あるいは、テレビ局がレコード会社を持っていたり。そういうところからの援護射撃というか、後方支援があった時代だったと思うんですね。
いまのスマートフォンにひもづいている音楽ショップでは、そういうことはない。どの曲にも中立公平に、という態度ですね。良くも悪くも。
――特定の曲のプロモーションみたいなことはしない、と
小室 プロモーションは逆にしちゃいけない。公平でなくなるから。販売しているメーカーやレーベルがタイアップをしてくれていたり、スポンサーであったり、そういうところの協力があることもありますが、そこまで強い結びつきで支援することはなくなっています。
――2000年代以降を含め、30年間の平成の音楽の変化をどのようにご覧になっていますか?
小室 最初の10年くらいは、ぼくが話したような、カラオケであったりレンタルであったりの伸びがすごかった。15年くらいはあったかもしれませんね。
でも、当たり前ですけど、どんなものでも歩留まりというか、乱立によって勢いが止まる。そのなかで、ネットの時代が始まり、いまCDの売り上げは、最盛期の4分の1くらいになっていると思います。最盛期は98年だと思いますが。
――新聞の部数もそのころから落ちていきます。
小室 書籍もそうですよね。きっと、データ化するのが簡単なものから衰退しているんじゃないかと思います。音楽も意外とデータとしては軽い。映像とかに比べれば。書籍もきっとそうだと思うんですね。
そういうわけで、平成の中間は衰退しはじめていたと思いますが、ここ10年くらいは、IT(情報技術)やテクノロジーとの共存の時代に入って、新しい兆しがちょっと見えてきた感じでしょうか。
――聞き放題サービスや、フェスなどのライブで、それなりに盛り上がっていると聞くんですが。
小室 まあ、本当にそれなり、ですね。(笑)
(つづく)*毎週月曜日更新
<次回以降予定>
1月15日 小室哲哉さんの「平成のpop music: 渦中からの証言」(3)
―― 音楽の近未来 ――
取材協力:Art & Science gallery lab AXIOM
撮影:中村琢磨(毎日新聞出版)