孤道の舞台裏
新聞連載担当 内藤麻里子(毎日新聞編集委員)
浅見光彦シリーズは、どこを舞台に何を書くか考えるところから始まります。内田先生といえば歴史ロマン。そこで歴史関係で何か目を引く出来事はないかとリサーチしていたら、毎日新聞の歴史担当記者が熊野古道の牛馬童子の頭部盗難事件を教えてくれました。事件自体は2008年に起きています。
「熊野古道を舞台にした作品は既にあるけれど(『熊野古道殺人事件』1991年)、もう一度舞台にできるかもしれないな」ということで、なにはともあれ熊野古道の取材に向かうことになりました。猛暑も盛りの同2014年8月のことです。
後に物語の中で大きな位置を占めることになる阿武山古墳は、私の事前調査不足でたどり着くことができませんでした。痛恨の極みです。また、田辺市役所では後に発見された(なんとバス停で見つかったのです!)牛馬童子の頭部を見せていただき、その鋭利な切り口に先生はハッとされ、思うところがおありの様子でした。
さらに9月、構想が具体化しつつあった先生は、最初の取材だけでは足りないと、奥さまの早坂真紀さんとお二人だけで長野県軽井沢町から和歌山県海南市までの長距離を、自ら車のハンドルを握って取材に向かわれたのです。後から聞かされて驚きました。海南市には藤白神社があって、これまた物語のキーポイントとなる舞台になるのです。
いずれにしても取材に行った場所、出会った人々、現地でうかがった話、たまたま入った店など、あらゆる要素が先生を刺激し、思わぬ形で物語に溶け込んで『孤道』の世界ができているといえましょう。
原稿は週に一度、1週間分送られてきました。滞ることなく順調に進んでいた頃、体調を崩されました。14年冬です。入院されたのですが、この時は休載は念頭にありませんでした。しかし、昼間は執筆が進みません。先生は夜な夜な3時頃に起き出して書き継がれました。私は執念の鬼火が先生の周りで燃えている様子を想像しました。看護師さんが巡回して病室の扉を開け、その姿があったら飛び上がったことでしょう。執筆にかける先生の姿勢に触れ、ずっと励まし続けました。
しかし、15年夏にお倒れになったときは脳梗塞です。ご相談のうえ休載に踏み切りました。先生は断腸の思いだったに違いありません。「ごめんね」と口にされた時の、悲しそうな瞳が忘れられません。
今回の完結編募集プロジェクトは先生のアイデアです。1980年、仕事の営業用に自費出版した『死者の木霊』が評価を得て、先生はデビューされたのでした。そのことになぞらえて、「いまだ眠れる才能」の後押しをしたいと考えられたのです。
先生は「完結編を書けないことが返す返すも残念ですが、後続の英才に期待します」とおっしゃっています。新しい才能に出会えることを関係者一同、心から期待しています。
お知らせ
※内藤編集委員が同行する『孤道』の舞台をめぐるバスツアー(2017年12月10~12日)が企画されました。
詳細は→毎日新聞旅行「まいたび・jp」