認知症110番

誰か分からない

 夫の両親を看取りほっとしている間もなく、自分の父(85歳)の痴呆が進み母(80歳)だけでは世話ができず、同居することになりました。かなり進行し、生活全般に介護が必要で母が主になって介護しています。痴呆だからと思うのですが、母がかなりショックを受けてしまい悩んでいます。いつものように、「ご飯だから食べましょう」といって一緒に食事を始めたら、「どこのどなた様かしりませんが、親切にありがとう」といったそうで、母は「いくらなんでも、こんなに一生懸命世話しているのに、これでは世話のしがいがない」と力が抜けてしまったようです。これからも、同様なことが起こると思うのですが、娘としては、母がこのまま父の介護を嫌にならないで続けていくにはどのように対応すればよいでしょうか。痴呆が進行すると家族の顔まで分からなくなってしまうのでしょうか。(石川県・娘・55歳)

【回答】快く受け入れ、今の時間を共有

 家族の気持ちは複雑だと思います。特に毎日そばで介護しているお母様の気持ちは耐えがたいものだと思います。しかし、本人だってわざといっているのではないのです。痴呆という病気がそうさせるのです。記憶障害の初期の見当識は時間がわからなくなったりし、さらに自分がいる場所がわからなくなり、重度になると家族の顔などがわからなくなります。痴呆が進行した状態といってよいと思います。

 本人は、傷つくことをいっているつもりはありません。むしろ、親切にしてもらって嬉しいから出た言葉です。感謝の言葉をいったのに不快な態度をとられると、なぜなのか戸惑ってしまいます。いつも気遣ってお世話している気持ちを考えると、なかなか他人が客観的にいうことを受け入れることは難しいと思いますが、本人の気持ちを考えてみましょう。感謝の気持ちを表したのに、違う表情が返ってきたら、本人の気持ちはどうでしょう。一般的には、“自分が違うことをいってしまったのかな”と思うでしょうが、そうは考えられないのですから、自分が違うことをいっているとは考えられないのです。自分がいっていることを正しいと思っているのですから、それに反対する表情が返ってくれば、“この人は変な人だな”と感じてしまうのです。理屈や言葉で判断することができなくなって、表情や反応から感じ取るのですから、“変だな”と感じさせてしまうことはよい対応とはいえないのです。

 ですから、本人のいったことへの反応が本人にとって、快いものになって返っていかないと不安やストレスになってしまうと思います。介護している家族のほうがかなりのストレスを感じていると思いますが、本人もストレスを感じ不穏になってしまい、どうしてよいかわからず、問題行動になってしまうのです。本人がいっていることが真実です。それを受け入れて本人のいっていることを支持しましょう。そうすることによって、本人は穏やかになり、かかわっている人を信頼してくるのです。

 誰か分からないけれども、自分がいっていることを快く受け入れて、穏やかにに接してくれれば自然とこころもほぐれ安心感につながっていくと思います。周りの介護者たちが、痴呆高齢者の不安な気持ちを理解して、一緒に穏やかに過ごすことが痴呆高齢者の介護の基本となります。

 家族の顔が分からないことは、家族にとってはさびしいことだと思います。しかし、元気で共に過ごす時間を共有できることの喜びはいかがでしょうか。日々のお世話は大変なのですが、家族として生活できることはこの上もなく幸せなことではないでしょうか。穏やかに過ごせることができるようにすることが大切なことだと思います。命は限りがあります。いつまでも元気でいるとは限りません。命のある“今”をともにに過ごせることを良しと考え、家族の顔は分からなくても今という時間を共有しましょう。

 そうはいっても、主介護者であるお母様のストレスは大きいものです。娘さんとしてはお母様が共倒れしないように、話し相手になったり、気分転換や介護負担の軽減ができるようにしていくことが、介護を継続していく力になると思います。また、在宅サービスを活用することもお勧めします。

回答者 是枝祥子(これえださちこ)
大妻女子大学教授=介護福祉学