長い間、「認知症110番」をお読みいただきありがとうございました。多くの方々の質問に答えながらたくさんの学びをさせていただき、感謝しています。
認知症という言葉も、以前は痴呆(ちほう)症と言っていましたが、時代とともに捉え方や理解が変化し、福祉サービスも多様になってきました。認知症を取り巻く医療や制度も変化してきたことは嬉しい限りです。まだまだ十分とは言えませんが、これから少しずつ明るい方向に向かっていくのではないかと期待したいところです。
今回は、質問に答えるのではなく、友人夫妻のことを書かせていただきます。
82歳の夫は認知症で要介護1、82歳の妻と二人暮らしです。近所に長女、長男家族が住んでおり、子どもたちとは頻繁に顔を合わせ、外食に出かけるなどして息抜きをしています。
お二人の出会いは学生時代、同じ研究室で、喧々諤々(けんけんがくがく)と議論を重ねていくうちに親しくなりました。
結婚前のある日、妻が夫と横断歩道を渡っていたら、夫は「年をとって足元がおぼつかなくなったら手を引いて渡らせてやるよ」とボソッと言ったそうです。妻はその言葉が頭に残り、「もしかして見かけとは違って優しい人なのかも」と思いつつもその後忘れてしまっていました。それが後日コンパで一緒になり、なんとなく気になり、その後お付き合いを始めました。卒業後はそれぞれ就職しても時々会い、数年後に結婚しました。
二人の子どもに恵まれました。それでも夫は仕事、仕事で夜中に帰宅、朝早い出勤、休みの日はお付き合いのゴルフと子どもと遊ぶことはありませんでした。家のことは妻任せ、妻が思い描いていた家庭とは程遠く、妻は何度離婚を考えたことか分かりません。そのたびに子どもに癒されてきました。その子どもも成長して結婚し、生まれてきた孫に癒され、ほっとして過ごしていました。
夫は定年後に数年働いた後、やっと落ち着きました。これまで旅行にも行けなかったので、「やっとこれから」と思っていた矢先、夫の物忘れが著明になり、旅行どころではなくなってしまい、日常の生活にも手がかかるようになりました。
「これが私の人生なのか」。そう思いながらそっと夫の顔を見ると、やさしい笑顔が返ってきました。イライラしていた気持ちがなぜか穏やかになり、「しょうがないなあ」と思いながらデイサービスに行ってもらう準備をし、また夫の好きな献立を考える日々です。
散歩で横断歩道を渡る時、夫は「気をつけて」とそっと手を差し出します。ふっと何十年前の言葉が蘇(よみがえ)り、「この人は変わってない、あの頃の優しい人なんだ」と思いながら、現実を受け入れるようにしています。時々妻のことが分からなくなりますが、娘に「あの人がいつも親切にしてくれるんだよ」とボソッと言うのを聞いて、夫の心が生きていることを受け止め、まあまあ良い人生かもと思っているようです。
認知症の人の介護をするようになっても、手助けを求め、制度を利用して自分の時間をつくり、一人で頑張らないことが大切です。人それぞれの人生ですが、1回限りですから、誰もが誰かの犠牲にならない自分らしい人生を送りたいですね。
是枝祥子(これえださちこ)
大妻女子大名誉教授=介護福祉学