第1回 「わすれな草」(ドイツ)

 映画の中に認知症の人が出てくる作品が増えたと思いませんか。主人公自身が認知症になったり、身近に認知症の人がいたりといろいろ。また作品も劇映画からドキュメンタリー、アニメーションまで実に多彩です。気になるのは、映画の劇的効果を狙って、病気の進行を早くしたり、認知症になったら何も分からないと悲劇的に描く作品があることです。病気の進行はそんなに早くはないし、認知症と向き合うことで良い意味で家族や周囲の人も変わっていきます。描写が正確で、しかも感動的な作品をもっと皆さんに見てほしいと考え、新コラムを始めます。第1回は4月15日から全国で順次公開されるドイツのドキュメンタリー「わすれな草」です。

感情表現の世界チャンピオン

 この映画の監督ダーヴィットは認知症になった母グレーテルの世話をしている父親を手助けするため、フランクフルト近郊の実家へ帰ります。ダーヴィットは母の世話をしながら、母の最期の時間を映像に記録していきます。理性的だった母は、病によって、心の赴くまま自由に過ごしているように見えます。母親が認知症になったことで、夫婦や家族愛を深めていく姿に感動し、ドイツでは異例のヒットを記録しました。

 この作品、実によくできています。母親を撮るきっかけは、前述のように母親の介護に疲れた父親を助けるためでした。母の物語を撮るという企画にすれば、介護する時間も労力もそっくり使えるからです。この申し出を両親は受け入れ、母は活気を取り戻します。その間もゆっくりではあるものの病気は着実に進行します。しかし、監督は記憶を失ってもユーモアを忘れない母親の新たな面を楽しむ余裕がありました。たとえば「薬を飲もう」と監督が言えば、母親は「あなたが飲めば」と返します。

 父親のマルテは退職後は数学者としての研究生活に没頭するつもりでした。しかし妻の発病で、それはかなわず、献身的な介護人となり、料理も覚えました。そんな父親を休ませようと旅行に送り出し、ダーヴィットは初めて母と対峙します。ある日、母親をベッドから起こそうと試みますが「いや」というばかりで寝続ける母親に、彼は爆発しそうになります。「チクショウ」と思わず舌打ちし、打ちひしがれていた息子を見て、母親は「元気?」と訊ね「外に行こう」と提案するのです。ぼんやりしていた母親が突然見せた覚醒。庇護される側から逆に息子をいたわる側に主導権が移った瞬間でした。母が生まれ育ったシュツットガルトに旅行し、夫マルテの待つスイスにも足を運びました。そして映画を撮る息子に「いいわ、続けなさい。あなたがやっているのはとてもいいこと」と激励します。もっとも次の日には、また「なぜカメラを回すのか」というのですが……。

 作品は介護の様子を追うだけでなく、1960年代後半のドイツやスイスの学生運動に参加した母親の知られざる人生や、夫婦でありながら互いに他の恋人を作って嫉妬に胸を痛めた感情の揺れも赤裸々に描いていきます。母が認知症になったことで新たな愛を紡いでいく様子を映像に収めながら、監督は「こんなお話はあらかじめ用意したシナリオでは絶対思いつかない」と振り返り、こう宣言します。「認知症患者は感情表現の世界チャンピオンといいますが、まさにその通りです」

 2012年、母グレーテル没。

「わすれな草」は4月15日より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開。

2017年4月