第7回 しわ(2011年・スペイン)
優しさあふれるアニメ
認知症を描いたアニメーションという珍しさから、2013年の日本公開以来、各地で上映され、話題を呼んだ作品。当初は「リアルすぎて暗い」という声も聞かれたが、改めて見直すと、お年寄を人間としてとらえていない社会の在り方に警鐘をならし、自分たちの問題として考えていこうという積極的なメッセージを感じ取ることができる。イグナシオ・フェレーラス監督の認知症の人たちへの優しい眼差しが詰まった作品を改めてご紹介したい。
スペインの漫画家パコ・ロカが描いた「皺」(しわ)を原作に、同じスペイン人で日本のアニメーションに造詣の深いフェレーラス監督がアニメーション化した作品。
冒頭のシーンが認知症になった人の様子を冷静に見つめる描写で印象深い。銀行の支店長として堅実に働いていたエミリオは、徐々に認知症の症状が表れ、家族の手で養護老人施設に預けられる。2人部屋で先輩格のミゲルは率先して施設内を案内してくれるが、あれこれ理由をつけてはお金を「徴収」するなど油断が出来ない。またいつも食事の時に同じテーブルに座る仲間には、バターや紅茶を貯めておき、面会に来る孫に渡す女性アントニアや、アルツハイマーの夫モデストに付きっきりで世話をする妻ドローレスがいる。どうやらそれぞれ事情があるようだ。
施設では認知症の進行も一様ではなく、様々な人生を歩んできたであろうお年寄たちが、つつましく暮らしている。だが、聞こえてくる大声の様子から、症状が重くなると2階の部屋に入れられ、2度と下へは降りて来れないことがわかる。
そんなある日、エミリオは、モデストの薬と間違えられた時に、自分もアルツハイマー病ではないかと疑い始める。やがてそれは確信に至り、ショックで症状が進行する。そんなエミリオのことを思い、彼から距離を置かれていたミゲルはある行動に打って出るのだが……。
この作品の作り方がうまいと思うのは、冒頭、養護老人施設の鉄の扉がゆっくりと閉まり、もうそこからは出られないことを暗示するように始まるところだ。温かな手描きのアニメーションゆえに必要で大事なところはしっかりと描き、そうではないところは省いたり、シンプルな線画で済ませるなどメリハリを利かすことが可能だ。
また認知症の人がよく見せる行動をドラマの進行に合わせ折に触れ紹介していく手法も効果をあげている。たとえばボールという簡単な言葉が分からなくなる。あるいは背広の上にセーターを着てもおかしいとは思わない。盗まれないよう大切なものをベッド下に隠したことを忘れてしまう。本来なら落ち込むような暗い現実が、アニメーションだと等身大の事実として観客に受け止められるのだ。
お金に抜け目がない男とエミリオから用心されていたミゲルが、ある事件をきっかけに家族より人情の厚い男と見直され「真人間」となったように変身する。それは人間の2面性を伝えているようにも思え、ラストに向けての「救い」や「希望」と見ることも出来るだろう。
DVDの特典映像に入っているイグナシオ・フェレーラス監督のインタビューで、監督は「高齢者問題があるのではなく、お年寄を人間としてとらえていないことに問題がある」「お年寄りが居場所を持てるように、後に続く世代は生活を変える必要がある」「それは自分たち世代の責任であり、映画を見て考えてほしい」と答えているのが印象的だ。
公式HP:http://www.ghibli-museum.jp/shiwa/about/
「しわ」はDVDでレンタル・発売中。
2018年4月