「あるがままに」(2013年・インド)

写真は2018年10月26日に東京・早稲田奉仕園で上映された「あるがままに」のチラシ

「良きかな」人生肯定的に

 年間1000本を超える作品が生まれる世界有数の映画大国インド。となれば認知症の人が出てくる作品ももちろんあります。制作は2013年。アルツハイマー病になった人を抱える家族の切実な思いに共感しながらも、時に本人役の俳優が見せる最高の笑顔が魅力的な映画です。

 ともすれば暗くなりがちな作品に引き込まれていったのは、作品全体にユーモラスな場面が挿入されていることがまず挙げられます。また、ほぼ全編にわたって気性の穏やかなゾウが認知症の人と行動を共にしていて、その癒し効果も考えるとゾウも主役の「1人」だったと気付かされます。そもそも認知症の映画にゾウが出てくるなんてわが国では考えられませんものね。

 舞台は西インドのマハーラーシュトラ州プネー。主人公のシャストリ博士はインド古典文学と哲学の権威で、かつて東洋学研究所長でもありました。自宅で書生と暮らしていた博士に記憶が退行するなどアルツハイマー病の兆候が現れます。長女夫婦が同居を試みますが、育児と介護の両立は難しく、二女とは介護方針をめぐってギクシャクしてきます。そんなある日、博士が姿を消してしまいます。

 父親と車で買い物に出た長女が商店街でちょっと目を離したすきに、博士は雑踏を悠然と歩くゾウの美しさに心を奪われ、あとを追い始めます。ゾウ使いは突然現れた老人を追い払おうとしますが、博士は赤子のように無邪気にほほ笑むばかりで、そばを離れません。根負けしたゾウ使いは、妻のいる川辺のテントに博士を連れて帰ります。笑顔もあれば、時に深い悲しみの表情も浮かべていた老人は、ようやく安住の地を見つけたと言わんばかりに、ゾウの大きな腹に背をもたれさせて眠るのです。

 ゾウ使い夫婦はなぜ警察に届けなかったかという疑問を抱かれる方もいると思いますが、差別を受け続けてきた者として届け出しにくい事情があったのでしょう。結末も含め所属階級の異なる人同士が見事に交差する展開に脚本の妙を感じます。

 この作品は認知症についていろいろ考えさせられます。もう一人の主人公である長女は医師の夫と裕福な家庭を営んでいましたが、介護のため父と同居することで教授職という仕事に加え育児と介護の両立が彼女を疲弊させます。また長年タブーだった父の女性問題にも疑念を抱き始めたとき、父の失踪が起きたため、自責の念も募るばかりです。父の不在で見えてきたものとは……。

 主に介護を担う人が周囲の無理解や当人の責任感の強さから能力以上に介護を背負い、困難な状況に陥ってしまうという作品は多いように思います。本作も同様の描き方でありながら、映画を観た後の印象が明るいのは、作中で繰り返し語られる「良きかな、良きかな(よろしい)」 と教授が物事を肯定的にとらえながら暮らしていく姿が好ましく見えるからではないでしょうか。もしかしたらスミットラー・バーヴェー監督は認知症になることも含めて博士の人生肯定感を彼の専門であるインド古典文学と哲学の深い知識を借りて伝えたかったのかもしれません。「認知症になるのは自然なこと。それも良きかな」という風に。

 同作品は2013年 インド国家映画賞脚本賞受賞作。

2019年3月