「調査屋マオさんの恋文」(2019年・日本)

(C)Imai Iori

 認知症の人を描いた映画にはラブストーリーと見まごうばかりの作品があります。この欄でも紹介した『男と女 人生最良の日々』や『きみに読む物語』『43年後のアイ・ラヴ・ユー』がそれにあたるでしょう。なぜか欧米の劇映画が多いようです。では日本映画は? ありました! 愛を高らかに語り合うわけではないのに、互いの思いがじんわりと迫ってくる良質のドキュメンタリー。それが本作品です。

 マオさんはアメリカで市場マーケティングを学び、友人たちと市場調査の会社を大阪で起業。その後東京に進出し、食品やアパレルの大手メーカーから委託を受けるなど業績を伸ばしてきた元企業戦士です。仕事に明け暮れる日々は刺激的でしたが家庭は崩壊寸前。「お父さん、今度いつ帰ってくるの」という息子の一言に衝撃を受け翌日、自分たちが立ち上げた会社を辞めました。

 妻の縫子さんは2010年ごろ認知症の症状が表れました。家計をやりくりするため調理師の免許を取得し料理教室を開いてきた縫子さんが大好きな料理を全くしなくなったのです。マオさんは妻の言動を克明に記録し始めました。市場調査と介護日誌。対象は違っても丁寧に記録することが核心への近道という点では同じです。

 今井いおり監督がマオさんにカメラを向け始めたのはちょうどそのころです。野菜やコメ、さらにはビールや味噌づくりまで、縄文人のような自給自足の暮らしぶりに興味を引かれたのです。ところがいざマイクを向けてもマオさんが語るのは妻の話ばかり。そこに深い夫婦の愛情が流れていることに気づき、監督は映画の構成をガラリと変えることにしました。映画は特別養護老人ホームに日参するマオさんが妻にやさしく接する姿を淡々と追って行きます。

 縫子さんは19年に亡くなりましたが、生前「マオさんと一緒にいるときが一番ほっこりするわ」と語り、一方の夫は「妻のことをなんにもわかっていなかった」と反省。今だからこそ語られるべき愛の記録になっています。

 妻を7年介護した経験を踏まえ、マオさんはこう語ります。「認知症は偏見と誤解の中にあります。認知症の人は何もわからない、何も考えない、何もできないとされ、医療や介護施設、家族にも同じ認識があります。これが間違いだと気づきました」。続けて「認知症の人は脳で考えることをやめて身体で考えています。その言動を、反論したり論理的に諭そうとしても通じません。反復して次の発話を待つ度量がいります。そうすれば語らいと微笑みが生まれます」。さらに「認知症の人は今を生きています。過去や未来についてはあまり関心がありません。今ここを一緒に楽しく生活する姿勢が大切です。介護する者と介護される者という違いを共有する『あわい(間)』が求められます」

 調査屋のプロが会得した介護の神髄と行間に漂う妻への愛が伝わってきます。

 東京ドキュメンタリー映画祭2019グランプリ

 「調査屋マオさんの恋文」は公開終了。自主上映等の問い合わせは、ちょもらんま企画・今井いおり監督(090-6065-9678)へ

 公式HP:https://www.mao-koibumi.com/

2021年2月