「草原に抱かれて」(2022年・中国)

「故郷」につながるロープ

 日本列島より大きい中国の内モンゴル自治区の広さと美しさをたっぷりと満喫させてくれる中国映画です。そのような大草原の広がるところで認知症になる人はいるのでしょうか。またなったらどんな暮らしが待っているのかも気になります。

 主人公のアルスはシンガー・ソングライターで伝統的な民族楽器の馬頭琴から電子音楽まで演奏することのできる音楽家ですが、心配事が一つあります。それは散歩に出ると自宅が分からなくなるなど認知症の進んだ母に対する兄の介護でした。

 ある日、兄夫婦の家を訪れたアルスは、集合住宅の小さな部屋で、囚人のように暮らす母の姿を目の当たりにしました。息子である自分の名前どころか家族構成さえ分からない母。その事実に耐えかねたアルスは母を引き取り、母が望んでいる故郷に連れ帰ることを決断するのです。

 やがて草原の中で母子ふたりだけの生活が始まります。炊事、洗濯から音楽活動まで多忙な息子の目がちょっと離れたすきを狙うかのように母親は家を飛び出し、大騒ぎの末迷子になって保護されるのです。都会ならまだしも、広大な大草原のこと、やむを得ずアルスはロープの両端に母親と自分の体を結び付け離れないようにします。

 そのロープは母の命をつなぐものでしたが、アルスにとってはまるで「へその緒」のように母親を通じて故郷の文化につながったことを象徴しているかのようです。

 映画の後半、アルスの馬頭琴など伝統的な民族楽器を生かしたセッションは民族の歌と踊りが現代的なリズムにのって溶け合い、人の心を打つものになっていきました。

 環境が大きく変わったことが母親にどう影響したのかわかりませんが、火祭りの晩、認知症の進んだ母親が最高の笑顔を見せてくれたことに共感したくなる作品です。たとえひとときであっても互いに元気を与えてもらうことができたのですから。

 昨年の第35回東京国際映画祭出品作品(チャオ・スーシュエ監督)。

 「草原に抱かれて」は9月23日より東京・K's cinemaで公開。

2023年8月