「別離」(2011年・イラン)

(C)2009 Asghar Farhadi

日常に起こりうる物語

 この作品には認知症の人も出てきますが、アスガー・ファルハディ監督は必ずしも認知症の人をリアルに描こうとはしていません。この病気はだれにでも起こりうる我々の日常というスタンスです。

 イランの首都テヘランで暮らすシミンは、11歳の娘テルメーの将来を考え、夫ナデルとともに出国の準備中です。ところがナデルはアルツハイマー病となった父を一人置き去りにはできないと国外に出ることに反対。夫婦の意見は対立し、シミンが裁判所に出した離婚申請も、協議は物別れとなります。

 そこでシミンはしばらく家を出る一方、ナデルは父の世話のためにラジエーという女性を雇います。後から考えると、この選択が絡んだ糸をさらにこんがらかすことになったのかもしれませんが、もちろん、この時点で夫妻はその後に起きる気の滅入るような事件を知る由もありません。

 ある日、ナデルが帰宅すると、意識不明の父がベッドから落ち床に倒れていました。手足の拘束も見られました。ナデルは激高し、ラジエーを問い詰め、さらに彼女をこっぴどく叱りつけ追い出してしまいます。

 その夜、ナデルはラジエーが入院したという知らせを受けました。しかも彼女は流産したというのです。ラジエーは流産の原因はナデルが彼女を外に押し出した事による転倒だったと主張します。嘘が新たな嘘(うそ)を呼び、思いがけない方向に向かうのに誰も抗うことができません。果たして真相はどこにあるのでしょうか。

 この作品が多くの共感を得たのは、夫婦の離婚問題から介護や格差社会の問題、信仰や倫理に関わる立場の相違までをあぶり出していることです。どこにでも起こりうる物語として、私たちの心を大きく揺さぶるのですす。

 とくに印象に残るのは認知症になってから何も言わなくなった父親が、家族同士の喧嘩(けんか)が起きるたび1人だけ冷静で何かを言いたそうに見えることです。認知症になってもずっと心は生きているという言葉を思い出させてくれました。

 第61回ベルリン国際映画祭において、主要3部門<金熊賞&銀熊賞(男優賞・女優賞)>受賞。

 「別離」は動画配信やDVDレンタルで。

2024年4月