コラム「母を撮る」

新作の舞台裏

関口祐加 映画監督

「毎日がアルツハイマー」の一場面。ケーキで誕生日を祝ってもらい上機嫌だった母は……

 2009年9月22日は、私の新作ドキュメンタリー映画「毎日がアルツハイマー」(「毎日がアルツハイマー」を改題)にとって忘れられない日になりました。理由は、二つ挙げられます。一つ目は、この日、私は、初めて母にカメラを向けて撮影した日でした。二つ目は、母の79歳の誕生日でしたが、母は、私と姪二人に祝ってもらったこの誕生日のことをすっかり忘れ、そのことを見事にカメラの前で披露してくれました。明るく「ボケた、ボケた〜♪」と歌ってくれたのです! 初日から、スゴイ映像が、撮れてしまった、と思いました。

 そもそも何故、認知症の疑いを持った母に対して、撮影をしようと思ったのでしょうか?  ドキュメンタリー映画の監督は、いつも魅力的な被写体と出会いたいと思っています。それは、被写体の魅力が、映画のすべてだから、と言っても過言ではないからです。すぐ思いつくのは、私の師匠である原一男監督作品に登場する被写体の人たちです。脳性麻痺の男、家出した妻、元ニューギニア戦線生き残り兵士、作家井上光晴。それぞれが、実に個性豊かで、魅力的です。監督は、そんな被写体に「一目惚(ぼ)れ」して一緒に映画を紡いでいくのです。

 私にとって、2009年9月22日の母が、まさにそういう状態でした。「ボケた、ボケた〜♪」と母が、歌った瞬間、そんな母に驚き、切なく、同時にとても愛しく思ってしまった。そして、私の目の前にスゴイ被写体がいる、と認識したのです。言わば、母に後押しされて、母の映画を撮ろうと思った瞬間でもありました。

 その後に撮ったのが、母の冷蔵庫です。残暑が、まだ厳しかった9月、白昼堂々と昼寝をする母を横目に私は、冷蔵庫の撮影を敢行しました。ここは、被写体に惚れていても、一歩踏み出し、撮影をする瞬間だと言えます。なぜなら、私は、ホームビデオを撮っているのではなく、世に問う映画作品を撮っているのだ、という強い意識があるからです。

 肝心な母の冷蔵庫の中は、グチャグチャ。冷蔵庫の中に入れないような物が、入っていました! 母の頭のカオス状況を冷蔵庫の中身に見た思いで、この時、母の認知症を確信したのです。

 ただ当時、私は、小学校4年生の息子とシドニーが、生活の拠点でした。まだ、この段階では、シドニーと横浜の間を行ったり来たりしながら、この新作を撮ろうと考えていたのです。そんな私の甘い考えを一変することが、12月の帰省時に起こりました……。

2011年10月