コラム「母を撮る」

恐怖のクリスマス

関口祐加 映画監督

71号母を撮る・母と息子の背比べ(2009年)

 2009年9月、2週間ほど横浜で母を撮影した私は、シドニーに戻りました。ただ、初めて後ろ髪を引かれる思いでした。私が、何でもできた母のことを心配するなんて異常だなあ、と飛行機の中で思ったことを覚えています。

 シドニーに戻ると、小学校5年生に進級したばかりの息子の世話や、映画学校での講師と多忙な日々が、待っていました。しかし、シドニーにいても、横浜で暮らす母の変調をいたるところで感じました。まず、シドニーからかける電話には、ほとんど出なくなったのです。また、あんなに頻繁に息子へ荷物を送ってきていたのが、パタリとやみました。時々入る妹からの情報によれば、母は、妹を家に上げず、自分の部屋の窓からしか話をしないというのです!

 待ち焦がれるように息子と一緒に再度帰国したのが、12月13日。しかし、台所の日めくりは、12日のままでした。次に息子と背比べした母は、息子に追い抜かれたことを知ると「そっちの方が、大きいよ!」と吐き捨てるように感情を爆発させたのです。

 息子は、息子なりに母の物忘れを心配したのでしょう。日めくりに何かしら書くようになりました。「日めくりをめくり忘れるな」「お茶を買うこと」などです。

 そして、いよいよ問題の12月25日。息子は、日めくりに「クリスマス・ケーキを忘れないで」と書いていました。その晩、家族でケーキをワイワイ言いながら食べ終わり、子供たちは、ゲームをし、私は、2階でパソコンに向かって仕事をしていた時のことです。母が、真っ青になりながら日めくりを手に2階に上がって来ました。

 「サキ君(息子)の字で、ケーキ忘れるなって書いてあるけど、どうしよう、買うの忘れちゃった!」

 私は、母が、クリスマス・ケーキを食べたことを忘れたことは、それほど驚きませんでしたが、ケーキを買い忘れたと思い込んでいる母の恐怖の目を見た瞬間、私の気持ちは、決まりました。

 横浜に帰って、母と一緒に暮らそう。

 母の下から飛び立って、33年、オーストラリアに渡って29年の歳月が流れていました。

 前回までのあらすじ 2009年9月、仕事の拠点であるシドニーから横浜に一時帰郷した私は、1人暮らしの母の認知症を確信する。それでも行ったり来たりで何とか対応できると思っていたが……。

2011年12月