コラム「母を撮る」

運命の日 その2

関口祐加 映画監督

三輪車に乗る母の後ろ姿

 2010年5月18日午後3時45分。午後4時半の脳神経外科での予約時間に間に合うように、母に声をかけたことを昨日のことのように覚えています。脳神経外科の診察後、お茶をすることに惹(ひ)かれていることを祈りながら……私のそんな子どもっぽくも必死な思いは、母に通じたに違いありません。母は、イヤイヤながら、私と同行することに同意してくれたからです。

 この頃の母は、まだ自転車に乗ることが、出来ました。私は、母の気が変わらないように、先に自転車が置かれている車庫に行き、母が出て来るのを待ちました。5分ほどして、母が玄関から出て来ましたが、何か考え事をしているような表情です。「えーっと、それでどこに行くんだっけ?」。あっ、脳神経外科に行くことを忘れている!

 私は、もちろんカメラを回していました。これは、不思議なのですが、カメラを回している時こそ、後になって、その時の場面が私の頭の中でくっきりと蘇(よみがえ)るのです。一場面、一場面の残像が、私の脳に焼き付いているという表現が、ピッタリなのです。

けげんそうな表情の母

 母の自転車に自分の自転車で伴走して、無事に脳神経外科に到着。よし、よし! 私たち母娘は、すぐに診察室に呼ばれました。これまたすぐに長谷川式の認知症のテストが、始まります。年号や、日にち、単語覚えなど全く答えられない母。私は、まさに子どもの試験に付き添っている親の気分でした。テストは、ドンドン進み、算数の問題になりました。今度は、スイスイと答えていく母。へえ、数字には、強いんだ、と思った瞬間、母が、ムッとした表情をしたのです! その時に、ハッと気付かされました。(横組みで)100-3のような単純な計算問題は、母の自尊心をいたく傷つけたことを……

 母が退室後、私だけで先生に所見を伺いました。「初期のアルツハイマー病の可能性が高いですね」。私は、あんなに母の認知症を確信していたのに、大ショックを受けました。それは、カメラを通して聞こえてくる私の声からも一目瞭然です。ただ……監督としては、そんな自分のショックの声にほくそ笑んでいるのも事実なのです。むしろ、そんな画を撮りたいと望んでいるのです。まさしく、泣いていいのか、喜んでいいのか分からない状況でした。

 一つだけ困った事がありました。この診察以降、母は、頑として再診に応ぜず、母を医者に連れて行く事は、至難の業になってしまったことです。

 前回までのあらすじ

 生活の拠点であるシドニーから横浜に戻り母と33年ぶりの同居を始めた私は、認知症の疑いのある母を連れ出しなんとか脳神経外科の診察を受けさせようと画策する。

2012年6月