コラム「母を撮る」

WHY、 WHY、WHYが大事

関口祐加 映画監督

 アルツハイマー型認知症の母の顕著な症状は、言わずもがな、記憶障害です。例えば、同じ話を繰り返すのも、話したことを忘れるという記憶の問題からくる、と理解できればなるほど、と納得出来るというものです。その後の問題は、繰り返しの話を聞く「私の問題」なんだなあ、とつくづく思います。

 今回、長編動画「毎日がアルツハイマー」の編集に追われていた時には、ゆっくりと母のリピートの話を聞く余裕が、私にはありませんでした。そんな時にはどうすればいいのか。だいたい、3通りのパターンに落ち着きました。

だらしがない、と顔を覆う母.

①チャチャを入れて母との会話を楽しみ、一緒に笑う(ただし、短時間勝負!)
②姪っ子たちに母をお任せで、仕事に戻る
③母に素直に「仕事が大変」と告白し、納得してもらう

 母の認知症から学んだことは、WHY=どうして、という理由を探ることでした。理由を探ることで、対応策が出てくるからです。

 映画監督は、すべからく「人間」に大いなる興味を持ち、更には、どうしてそのような行動をするのか、なぜ、笑って/泣いて/怒って/悲しんでいるのか、とにかく知りたい人種だと思います。WHYを探ることで、より深いストリーテリングが、出来ると分かっているからです。

 母は、私の母であり、同時に被写体であり、映画の主役です。そして、この主役であるという母の存在理由が、母の認知症を冷静に観察し、分析する力になったと思います。

 とは言え、娘の私が、一番困惑したのは、母が初期のアルツハイマー病と診断されてから2カ月目、2010年7月のことでした。母から突然に「貯金通帳が、ない」と告白された時です。画面の中での「えっ!!」という私の驚愕の声が、すべてを物語っています。

 当時、私は、オーストラリアから帰国して半年、映画監督とは言え、収入ゼロ。情けないことに母の年金が、すべてだったのです。

 わああ、お先真っ暗!と、カメラ越しに思った瞬間、ビューファインダーを通して、母が自分に絶望し、自責の念にかられている画が飛び込んできました。

 ああ、一番ツライのは、母なんだ……。

 カメラこそが、私が、私だけの感情に囚(とら)われることを阻み、母にキチンと向き合うように仕向けてくれるデバイスだったのです。それ以降、問題が起こった時には、母のツライ思いを肝に命じ、どう対処するかを真っ先に考えるようになりました。

 前回までのあらすじ

 認知症の疑いのある母をなんとか連れ出し脳神経外科の診察を受けさせた私は、初期のアルツハイマーという診断にショックを受ける。その一方で監督としての目は……

2012年8月