コラム「母を撮る」

苦悩伝える小さなメモ

関口祐加 映画監督

 2010年9月22日は、母の80歳の誕生日と同時に、私が母を撮り始めてからちょうど1年という記念すべき日でもありました。30数年ぶりに一緒に暮らし始めた母と娘が、お互いの存在にも慣れた時期でもあります。また、母が、初期のアルツハイマー病であると診断されてから4カ月たった頃でした。今振り返ってみると、色々な意味で盛りだくさんな1年であったなあ、とつくづく思います。

 ロングラン大ヒット公開中の長編動画「毎日がアルツハイマー」のシーンにあるように母の80歳の誕生日は、かなり侘(わび)しいものでした。買い物から帰宅し、全財産の1000円プラスとレシート、それに母が大好きなモンブランの小さなカップケーキを誕生祝いとしてテーブルの上に置き、やけのやんぱちで撮影した事を昨日の事のように覚えています。母が、夏に預金通帳をなくして以来、親子の経済状況が、一気に困窮化した画(え)、とカメラを通して考えられるほど余裕はなかったはず。ただただ、生活費の全てが、私の肩に重くのしかかっていた事を暗澹(あんたん)たる気持ちで考えていた事を覚えています。

 また、本作には、出てきませんでしたが、同じ頃、母が、長期間、固定資産税を払っていなかったことも判明したのです。数十万円でも足りないほどの金額にビックリ仰天! こちらは、税務署と交渉して、何とか月々の分割払いにしてもらったばかり。当時の私は、お金の事で青くなる日々を送っていました。情けないことに映画監督とは名ばかり、日本での収入は、ゼロだったためです。

 しかし、よくよく考えてみれば、父と一緒に営んだ米屋で日々お金の計算をし、出納帳を何十年にわたってつけてきた母が、アルツハイマーになった途端、真っ先にお金のことが、分からなくなったという事は、ついにお金からも解放されたように思えなくもありません。現に母は、小さなモンブラン・ケーキを素直に喜び、自室でテレビを見ながらガハハと笑っているのです。私が淋しいかな、と心配した2人だけの誕生祝いを全く気にしていないようでした。

 この時初めて私は、「忘れることの素晴らしさ」に思いを巡らせたのです。母も口癖のように「忘却とは、忘れ去る事なり」と繰り返し言っていましたし、自分でも仕方ない、と受け入れている、そんなふうに見てとれました。辛(つら)いこと、嫌なことが、記憶から消えていくのなら、それはそれで悪くないなあ、と思い始めて撮影してからの1年でした。

 ところが!

 ある日、母がトイレに入っている間に母の部屋の掃除を、と掃除機を持って部屋に入った私は、母の手書きのメモを見つけてしまったのです。そこには「だらしないのに頭が狂っている」と書かれてありました。あんなに漢字が得意だったのに、書き損ないの字があり、その字を塗りつぶして……また、「預金通帳が、あってくれ〜」とも。更には、母が、自分の銀行は働いていた頃の前の銀行だと思い込んでいることも分かりました。その銀行は、もはや存在せず、別の銀行になり、そこで口座を作り、通帳を持っていたのに……。

 短く、小さなメモでしたが、母の大きな苦悩が伝わり、私自身も衝撃を受けた瞬間でした。そして、このメモから母のアルツハイマー度の深刻さを初めて知ったのです。

 この母のメモは、今は、私の宝になっています。このメモを時々見る事で、私の役割は、母の心を安定させ、一緒に笑おう、という原点に立ち返れるからです。

2012年12月