コラム「母を撮る」

母の2014年

関口祐加 映画監督

 立春を過ぎても相変わらず寒い日が続いています。皆さん、お変わりありませんか? 気がつけば、新年はあっという間に過ぎ去ってしまいました。

 関口家の年末年始は、文字通り「師も走る」忙しさでした。とくに12月7日に息子が帰国してからは、毎日がお祭り騒ぎのような楽しさ。母も息子が帰ってくると一気にテンションが上がります。

息子と元気になった母 (c)2014 NY GALS FILMS

 ところが、事件は、暮れも押し詰まった29日に起こりました。15歳になった息子は、料理をすることが大好きで、毎晩夕飯を作ってくれます。ただ、後片付けは、自然に私か母がするようになっていました。実際は、母がすると言っても、昨年の夏頃から、私が母の洗う物を事前に準備した上で、母に洗ってもらうという手順です。そして、母が洗い物をする時には、必ず付き添うということを決めていました。母自身はヤル気満々でも、簡単な洗い物に1時間近くかかったり、時にはどのように洗うのかを混乱したり、ちょっとふらついたり、ということが多くなってきたためです。

 さて、29日の晩、母は、自分が使ったマグカップを洗って拭き、私に渡そうとした瞬間、そのまま私に倒れかかってきたのです! その時、すでに意識はありませんでした。意識を失った人は、母のように小さくてもとても重いものです。私の股関節、特に左は術後まだ1カ月を過ぎたばかりで、母を支えるのに四苦八苦でした。すぐに2階にいた息子と姪を大声で呼びました。2人とも降りてきて母の様子にビックリした様子でしたが、私より背が大きくなった息子が、母を受け止め、静かに寝かせてくれました。私は、迷わず救急車を呼びました。救急車が来るまでの10分程度は、とても長く感じましたが、母はふと何事もなかったように目覚めました。

救急搬送された母 (c)2014 NY GALS FILMS

 実は、母が倒れたのは、今回で3回目です。1回目は昨年の5月、イケメン介護士のデイサービスで倒れ、救急搬送されました。その際、搬送先の病院で強いて言えば脱水症状と言われたのですが、血液検査結果には、これと言った問題はありませんでした。2回目は、10月。母が廊下から台所に戻って来て倒れ込むように自分の椅子に座り込んだのです。その時にも意識はありませんでしたが、その場にいた私が声を掛けると、すぐに気がついてくれました。

 29日も母の意識は戻っていましたが、救急搬送してもらいました。5月の時と同じ病院で同じ結果でした。これといって悪いところは見当たらない……その後、新井平伊教授とのやり取りで、脳血管症も抱えている母は「一過性の脳虚血発作」ではないかという結論に非常に納得させられました。

 2015年は、引き続き認知症の母の心を理解することに腐心しつつ、身体のこともしっかりと把握していかなければならない。そんなことを改めて気づかせてくれた母の2014年であったと思います。

2015年3月