コラム「母を撮る」

「毎アル FINAL」始動!

関口祐加 映画監督

 立春を過ぎても相変わらず寒い日が続いています。皆さん、お変わりありませんか? 気がつけば、新年はあっという間に過ぎ去ってしまいました。

 関口家の年末年始は、文字通り「師も走る」忙しさでした。とくに12月7日に息子が帰国してからは、毎日がお祭り騒ぎのような楽しさ。母も息子が帰ってくると一気にテンションが上がります。

私がいなくて寂しかったと泣く母 (c)2014 NY GALS FILMS

 いよいよ「毎アル FINAL」が始動です! すでにWeb上では、正式に発表されましたが、皆さんには「えっ、もうファイナルですか?」と驚かれています。また、以前に「毎アル3」として撮影開始のことを書きました。

 私が「毎アル3」ではなくて「毎アル FINAL」だと考え直したのは、「毎アル」シリーズの映画のストーリーとしては、やはり最終章ではないかと思ったからです。また、今は、映画館に行って映画を鑑賞するという文化が大幅に変わる中で、多分私にとって「毎アル FINAL」が、劇場公開型最後のドキュメンタリー映画になるのではないかと考えていることもあります。そして、監督としては、3部作完結がいいのでは、ということもありますよね。色々な意味でFINALなんですね。万が一「毎アル FINAL」以降のストーリーを何らかの形で発表したいとなった時には、ストリーミング(動画や音声のファイルをダウンロードしながら再生する方式)やオンデマンド(利用者の求めに応じてサービスを提供する方式)、ダウンロードなどネット発表になるでしょう。これも時代の流れだと思います。

 実際には「毎アル FINAL」として考え始めたのには次のような理由があります。

①主役である母の健康状態が、想像以上に悪くなってきていること。

②介護者である私の先天性股関節変形症が、家族の秘密を暴露する驚がく的な事実であったこと。

③母にとって本当に住み慣れた自分の家や地域が、これからも安らぎの場所であるかどうか疑問を持ち始めたこと。

④それに伴い、終の住み家としての介護施設に興味を持ち始めたこと。

⑤パーソン・センタード・ケアを実施した理想的且つ、素晴らしい「認知症ヴィレッジ」の存在を知ったこと。

 この「認知症ヴィレッジ」は、残念ながら、日本ではありません。「施設」という枠組みを超えた認知症ケアの概念、また見事にパーソン・センタード・ケアが実践されたこの「認知症ヴィレッジ」には、びっくりしましたが、すぐに納得がいき、今はとても興奮しています。早く行って撮影したい! そう考えると昨年は、両股関節全置換の手術に踏み切って本当によかったと思います。ただ、この要素を全部入れるとなると、とてつもなく長いドキュメンタリー映画になっちゃいますね。「毎アル FINAL」は、一番生みの苦しみが大きくなりそう……。

 肝心の母の近況報告を少し。1月に倒れた母でしたが、2月は何とか無事に乗り切りました。ただ、食事の見守りが、以前にも増して必要になってきています。毎回食事が無事に終わる度、安堵するというのが正直なところです。ただ、認知症ケアは、つくづく心のケアだなあと思うのは、実は、母自身がいつも漠然とした大きな不安に包まれているのを感じるからです。自分が倒れた事実は、忘れていても不安が、残っている。それが自分では、なぜだかは分からないというのは、心がざわめき、本当に心細いだろうと想像できます。

 例えば、以前では考えられなかったことですが、先日も私が朝から東京で仕事をして夜帰宅をすると、私の顔を見た途端さめざめと泣くのです。「淋しかった。いつまで一人でいないといけないのかと思って」。こんな時の私は、自分でも驚くほど冷静です。(母の写真を撮っている!)少し母の不安さに付き合い、後は明るい話題に話を持っていきます。また、私がいない時間は、妹に母の様子を見てもらうよう頼み、昼食後に2人で1時間ほど話し込んだということも知っていますからね。要は、母の感情のうねりにいつも介護者である私が取り込まれては、ツライ介護になってしまうということです。自分を介護の犠牲にせず、常に介護のプランBを準備し、楽しく仕事をする。ここら辺りも「毎アル FINAL」ですね!

2015年4月