コラム「母を撮る」

息子の存在

関口祐加 映画監督

大好きな孫の先人さんとお気に入りの喫茶店でツーショット (C)2015 NY GALS FILMS

 私と息子の関係は、世間からみたらユニークということになるのでしょうか。「毎アル」の中にも出てきますが、息子は10歳の時にシドニーの父親と暮らすという選択をしました。いえ、正直に言うと、母親であり監督である私が、映画のワンシーンとして息子に選択を迫ったと言った方が正しいですね。息子は、しばらくたってから僕に人生であんなに大切なことを選ばせるなんてズルイと思ったよと、教えてくれました。また、母の認知症初期の対応にテンテコマイしている私を見て、僕が横浜に残ったらお母さんがもっと大変になるなあと思った、とも。

 今や高校生になり、今年16歳になる息子は「そりゃ、学校の不安って大きいから、やっぱりシドニーの友だちと学校の方を選ぶでしょ」とすましたもんです。私が母の自宅介護をするようになって6年目に突入したということは、息子と離れ離れに暮らし始めて6年目ということでもあります。息子は、年に2回、シドニーの学校が冬休みの時(6月〜7月)と夏休みの時(12月〜1月)に日本に帰って来ます。5カ月に1回会うというサイクルですが、トータルにしても6〜7週間だけ。この母親と離れている期間は、息子にどのように影響を与えているのでしょうか。

 一般的に母と娘の関係は、複雑だと思いますが、母と息子の関係はどこか危うい? 息子は生意気にも「男はいくつになってもマミーズ・ボーイ(母親大好き人間)なんじゃね?」などと言っています。母親は、そんな息子の何を見て何を期待するのか。息子の愚かさやかわいさにのめり込まず、自立を助け、でも、無条件の愛を与えつつ、千尋の谷にも突き落とし、這い上がれるたくましさを身につけてもらいたい。欲張りですかね? でも学校の成績でいい点を取って欲しいなんて、これぽっちも思っていない母親ですから!

孫のエスコートで足取りも軽く (C)2015 NY GALS FILMS

 そして、息子の人間としての成長は、実は、母親の私と離れて暮らしているからこそではないか、と手前勝手に考えています。私は、毎日、息子にお弁当を作って上げるというような身の回りの世話をしてあげることは出来ません。だからこそ腹をくくったのは、私の不様な生きざまを息子に包み隠さず見せようということです。息子の前でイイ格好をした親を演じないということですね。理想の母親であることより、リアルな母親であることを心がける。

 そんな息子は私にとって、一番手厳しい批評家でもあります。私が作る映画が面白くなくなったら真っ先に言うからね、と常日頃から言われています。誰が大きな鈴をつけるのかという状況になる前に私を引きずり下ろす役目ですよね!

 親バカと知りつつ、私の母(祖母)に対してもとても優しい子です。毎回息子の帰国を心待ちにしている母は、まるで恋人を待ち焦がれているかのよう。息子を持つことがなかった母は、男の子がこんなに可愛いなんてと手放しです。息子は、息子で母のアルツハイマー病をすんなりと受け入れ、動じている様子は全くありません。そう、こういうことこそ偏差値教育で100点を取るより、ずっと大切ですよね。母の認知症は、息子の人間力をつける教育でもあると考えています。

2015年8月