コラム「母を撮る」

TVタックルに出演

関口祐加 映画監督

楽屋で弁当を美味しそうに食べる姪

 私は、たまに請われてテレビ出演をすることがあります。今回「ビートたけしのTVタックル」からお声がかかりました。即断したのは、ビートたけしに会える!と思ったからです。TVタックルは、4月から日曜のお昼の時間帯に移行したこともあるのか、認知症特集をするというのです。3月31日、都内のテレ朝のスタジオの収録に春休み中の姪のこと子と一緒に向かいました。夕方の5時半入りで、収録は、夜の7時から。「毎日がアルツハイマー」撮影当時10歳だったこと子は、映画の中で「コマネ○ンコ!」と叫んでいるので、本家本元に会って握手したいとビートたけしに会えるのを楽しみにしていました。

 スタジオ入りし、楽屋に行くと私担当(!)のディレクターが、たけしさんには取り巻き(軍団)が多く、握手や写真は、無理だと言うのです。しかし、姪のために何とか握手ぐらいは、させてあげたい。幸いなことに私の席順は、ビートたけし、そのまんま東、私というたけしさんには、とても近い距離でした。無事に収録を終え、脱兎のごとくビートたけしにアプローチし、まず握手をして、そのまま、彼と一緒に歩きながら(誰も近寄って来なかった!)スタジオの端で収録を見ていたこと子を呼びます。こと子も走ってきて、無事に握手をしてもらったのです。世界の北野武監督は、とてもシャイで別格の本物でしたよ。

「TVタックル」を見る母

 さて、4月17日の放映日。母の部屋で一緒に見ることにしました。母は、私がテレビに映っていることに驚き、大喜び。「いい女に映っているよ!」と大はしゃぎです。「毎アル」の映像が流れると私に何年前かと聞くので、もう6年前だよ、と答えました。「今の方がずっと幸せだなあ」としみじみと言ったのには、心底驚きました。認知症初期の辛かった時期の感情が残っているのだろうと思いました。しかし、今は、認知症が進み、母は忘れるということを忘れるようになり、「多幸症」の中で生きているのでしょう。認知症が進んだら、本当に不幸なのか。母は、そんな問題定義をし続けてくれる存在だとつくづく思います。

 一つ確信していることがあります。それは、いいケアさえ受けられれば、認知症になっても恐れることはなく、堂々人生を全うできるということです。

 母は、自分の出番が終わると急速にTVタックルに興味を失い「昼寝するよ」と言ってテレビを消し、私を部屋から追い出したのでした。

2016年6月