理想的な死

関口祐加 映画監督

食後の経口補水液のお湯割りを飲んでゴキゲン!
=(C)NY GALS FILMS 2016

 読者の皆さんは、自分の死を考えたことがありますか? 私が初めて「死」について考えたのは、小学校3〜4年頃でしょうか。死ぬことについて早くから考え始めたのも、身近に理想的な死に方をした人が2人いたからだと思います。1人目は、母方の祖母。明治生まれの祖母は、母親のすぐ上の姉に従い、住み込んで子育てと商売を手伝い、身を粉にして働いてきた人です。そんな祖母は、ボケると息子(伯父)夫婦に引き取られ、面倒をみてくれるお嫁さんのことを「お姉ちゃん」と慕い、実に素直で可愛いボケ方をしました。ある日「お姉ちゃん」と一緒に昼食を食べ、そのまま横になって逝ってしまったのです。小学生だった私は「こんな風にボケて死にたい」と初めて自分の「死に方」をイメージしました。それだけ祖母の逝き方が、見事だったからだと思います。

 2人目は、私の父です。脳梗塞で倒れて闘病生活5年目の春でした。父は、夕食後に突然に「いい人生だったなあ。ありがとうな。もう思い残すことは、何もないから、これ、やるよ」と母に自分の大事なへそくりの通帳を手渡し、その後、トイレでこと切れたのです。一番大事な人に感謝して逝った父。私にとって父は、死に方のみならず、<後悔なく人生を生き切り、最後の瞬間に感謝する>というお手本そのものなのです。しかも父の葬式から3日経(た)った私の夢枕に現れた父は、光に包まれ、なぜか真っ赤なアロハシャツを着て、まさしく昇天していく姿を見せてくれました。「毎アル」の中でもシーンとして再現するぐらい私には、生涯忘れられない死に方と伝え方になりました。そんな2人を知っているだけに、自分は、どのように死んでいきたいのかということを割と早くから考えるようになったのかも知れません。

 さて、母ですが、数年前は、よく「死ぬことを忘れている」というのが彼女の口癖でした。私は、これは、本当は、死ぬことを恐れているのか、あるいは、まだ死にたくないと思っているのか。本当に忘れていたら「忘れている」とは言わないだろうと考えていました。現在の母は、もう少し認知症が進行し、あるがままの感情をむき出しに、その瞬間瞬間を精いっぱいに生きています。そして、本当に死ぬことを忘れたとしても、いつの日か母にも死が訪れます。そんな認知症の母の命は、本人が意思決定できない分、介護者である私が預からなければならない。そんな看取りの大きな責任を考えることが、今回の「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」のテーマになったのは、自然な流れですよね。そして、私が小学生の頃からずっと考え続けてきた「死」について考察する絶好の機会が訪れたのだと思うとワクワクしています。

2017年4月