コラム「母を撮る」

記憶と感情の相関関係 後編

ヒューゴ先生と=(C)NY GALS FILMS 2017

 昨年イギリスのヒューゴ先生再訪問と撮影の際、ヒューゴ先生は、ホロコーストを生き残った人達の記憶のしまい方と感情の相関関係について話してくれました。ホロコーストを生き残った人達は、戦後人生の再建に忙しく、忌まわしい記憶を封印することが出来ましたが、定年退職後などで時間に余裕を持てるようになると戦争体験がリアルに蘇り、苦しむというのです。何十年も遅れてやって来る心的外傷後ストレス障害(PTSD)でもある訳ですね。まさに昨年の母の8月の生々しい戦争追体験は、そんな感じでした。自分の部屋が防空壕(ごう)になったのには、本当に驚きましたし、本人を見れば、その時代に行ってしまっていることがすぐに分かりました。つくづく母の戦争体験は、しっかりと記憶のつぼにしまわれているんだと思い知らされた事件でした。

マンゴーを食べて大笑い

 そして、母の感情の起伏の多くは、このしまわれた記憶のつぼからきていることを深く理解したのです。このような急な感情の襲来の厄介なところは、本人には全くコントロールが出来ないという点です。何かのキッカケでしまわれていた記憶に伴う感情に襲われる。ここで初めて記憶と感情の相関関係についてなるほどと得心がいきました。認知症の問題は、取り出せない記憶自体よりもこの自分ではコントロール出来ない感情の方の問題であると改めて思いました。まさに目からウロコです。

 さらに、ヒューゴ先生にはこうも言われました。「お母さんの戦争体験は、来年(2017年)も繰り返されるとは限らない。お母さんは、予測不可能な認知症の世界の中で生きているからね」。このヒューゴ先生の言葉は、まさにドンピシャリでした。今年の8月、母は高校野球を一生懸命見ていました。終戦特集の番組には気づかなかったのかどうか。しかも母は、野球のルールをよく知っていて私に解説してくれるのです。「兄(あん)ちゃんは、野球が大好きで一緒に見に連れて行ってくれたんだよ。いつも大好きなキャラメルを買ってくれた」と嬉(うれ)しそうに言うではありませんか。へええ! 母には、7歳年上の兄が1人いましたが、そんなことがあったのね。たまたまテレビで高校野球を見て楽しい思い出とその時の感情が蘇(よみがえ)る。こう書いていて気づいたことがあります。辛(つら)い体験をした時の感情に支配されている母は、そのことを言葉として相対化できませんが、楽しい時は、記憶も言葉もスラスラ。ああ、人生が、全部楽しいことだらけだったらいいのに。無理だと知りつつ、つい思ってしまいますよね!

2017年10月