コラム「母を撮る」

「毎アル・ファイナル」完成報告上映会

 2月1日、クロズードではありましたが、映画製作のためのクラウドファンディングにご協力頂いた方々を対象に新作「毎アル・ファイナル」の完成報告上映会を東京で開催しました。昨年2月1日のクラウドファンディング・スタート日からちょうど1年が経ったところで完成上映会が出来たことは、この上もない喜びでした。

母の日常(右)何だか知らないけれどおいしい!(マンゴーです) 母の日常(左)混乱中です…… =(C)NY GALS FILMS 2017/div>

 今まで編集段階では何百回と見ていても、お客様と一緒に自分の映画を鑑賞するのは初めてです。最も緊張する瞬間です。何回経験しても慣れるということはありません。今作は、特に「認知症介護」のみならず「緩和ケア」「安楽死」「自死幇助(ほうじょ)」についても描いているので尚更です。介護の先にある母の「死」を見据えて、介護者である自分の「老い」と「死」についても考察します。ただし、テーマは、深刻でもユーモアは、たっぷり。実際、映画が展開していく中、笑い声が起きホッとしました。映画監督としてずっとやりたかった悲劇とユーモアの絶妙なミックス。そんな作品になったのではと思います。(自画自賛でスミマセン!)

 早速、様々な感想が届きました。「こういう映画だったの!? とても面白かった」「自分の死に方をじっくり考えさせられました」「ひろ子さんがビビッドに描かれ、今まで以上に家族関係も鮮明に分かり、とても興味深かった。編集のチカラを感じました」「想像を大きく上回った素晴らしい傑作になったと思います。シリーズの中ではベストで一番好きです」「重いテーマに考えさせられましたが、笑いもあり見終わった後は、とても爽快な気持ちになりました。スゴイ映画を作りましたね」「ドキュメンタリー映画とは全然思わせず、また先の展開が全く読めず、感嘆しながら、笑いながら、泣きながら見終わりました。あっという間でした」。上映終了後に、皆さんから温かい拍手を頂いた時には、心底安堵(あんど)しました。

 見て下さった方それぞれの何かに訴えることが出来る何層にもなっている映画。いつも監督として目指しているところですが、なかなか難しい。また、このファイナルで初めて国内外の評価が一致したのも嬉しい限りです。実は、先に英語版の方が絶賛されていたので、日本語版も同じであって欲しいと祈るような気持ちでした。全ては編集のデニースさんの力によるものと感謝です。今作が前2作と違う点は、編集と音楽にオーストラリア人のスタッフを迎えたことでした。大正解だったと思います。

 ファイナルは、今年の7月から全国順次公開になります。どうぞよろしくお願い申し上げます!

 さて、ついにファイナルが完成して、思うことがあります。よく<終わりのない介護>という言葉を聞きますが、私は<終わりからの介護>を考えています。このことについては次号で書いてみたいと思います。

2018年3月