コラム「母を撮る」

「終わりのない介護」から「終わりからの介護」へ 前編

経口補水液の水分補給中=(C)NY GALS FILMS 2018

 介護生活でよく耳にするのが「終わりのない介護」という言葉です。確かに介護の日常は長く、先が見えない閉塞(へいそく)感があると思います。また、身体介助などのやることも同じで、いつまで続くのかなと思うこともしばしばです。しかし、そんな陰に隠れて、実は介護の終わりは突然にやって来るものだと改めて思い知らされました。

 2月4日の夕方、母の自室で紙パンツ取り換えの手伝いをしている最中突然、母は意識不明になり倒れました。これで5回目になる脳の虚血発作です。ただ、今回は、意識不明だった時間が一番短く、すぐに気がつきました。私も落ち着いていました。まずは、速攻で経口補水液を準備したのです。それは、過去4回病院に救急搬送された際、点滴を打って帰されたことを覚えていたからです。母は、経口補水液をマグカップに3杯、あっという間に飲み干しました。圧倒的に水分が足りていないと気づいた瞬間です。それ以降、2月の母は、ずっと調子が悪く、私の心配もマックスに達しました。

 そうこうしているうちに、今度は、2月11日に父の姉(伯母)が、92歳の大往生を遂げたのです。独身の長男が寝たきりになった伯母を独りで介護していましたが、以前このコラムでも書いたようにとても賢い介護の方法でした。介護を介護職の人たちに任せる方法です。伯母は人が大好きなので(関口流!)1日に3回やって来るヘルパーさんとおしゃべりするのを楽しみにしていたそうです。でも、いとこは、まさか朝起きて来たら、伯母が亡くなっているとは思ってもいませんよね。

 そう、介護の終わりは、突然にやって来る。実は、介護の真実は「一寸先は闇」にあるのではないでしょうか。そして、2月の母や伯母のことを鑑みて「終わりからの介護」を考えるようになりました。

 この「終わりからの介護」は、新作「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」で撮影をさせていただいた松山市の施設でも顕著です。ここには、栄養士もおらず、施設長自らが<伊予>の手料理を作ります。栄養管理もゆるく、誰でも自宅で食べているもの。また、必要以上な医療介入は、NGです。終わりからの介護は、歳(とし)を取ってもいつまでも元気で、というようなことは、言わず、考えず。死をもっと身近に考え、リアルな介護なのかなと思っています。次号でもう少し詳しく書いてみたいと思います。

2018年4月